2009年12月1日火曜日

しまだの頭の中

ちょっと今までの社会的な話からは離れてしまうかもしれないけど。。
今シマダは「都市文化の成熟」という本を読んでいる。
その中の『村としての東京―変転する近代日本の首都像』byヘンリー・スミスの話がおもしろい。でもまだ読み途中なので、これについては後日まとめます。
でもいくつか気になる引用文を・・・
「大東京も大きな村であると、かつてはよくいわれたが、その意味内容がいろいろあり、誇張にすぎるとはいえ、それは、日本の都市の性格をよく表現している。日本近代の地域社会は、こうした表現がさして違和感なしにうけいれられるほど、農村と都市とを通じて、つよい結束をみせた村や町内を構成単位とした。そうして、町内も村同様の性格をもつ共同体として、日本の社会をつくりあげた『ムラ』であったのである」(福武直,1981)

あと、、槙さんの「見えがくれする都市」の一文を引用しているところだけ、明日の敷地調査を前に考えてみようと思う。
 東京と田舎(郊外を含む)に通底する性質として、土地そのものへの執着を挙げている。
「土地信仰はやがて人々の深層意識として定着し、近代という全く異なった社会経済機構の中でその執着だけは…連綿と生き続けているのである。…日本ほど、その歴史において、土地に執着し、一方において建築の永遠性を信じないところをしらない。空間はどうやら、土地において代表され、建造物によって表象されないようだ」
吉田の思考ファイル3のなかで、①「故郷喪失」と共同性の欠如という、郊外の問題点が挙っていた。
このことと、槙氏の言う<土地への深層意識としての定着(執着)>は非常に密接な関係にあると思う。日本人の根底原理が、現在の郊外では通用しないということになるからだ。
こうした事態をどう受け止めるか、郊外に住むという感覚がない私にとってかなりここがポイントである。この問題が、この先実際に郊外でさらにどのような問題を誘発してしまうのか、ということについて考えていかなければならない。
明日は今までの数々の2人が挙げてくれた郊外の問題点を意識しながら敷地調査を行う。
私はやはり敷地調査では、まず行ったときの土地の感覚みたいなものを重視する質なので、郊外というおそらく日本中で唯一<土地への執着が生まれない場所>がどういう意味なのか、このことに着目しながらひとつひとつの町を見ていきたいと思う。
(よくわからない文章になってしまったかも。)

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