2009年12月1日火曜日

思考ファイル5 

思考ファイルは5回目になった。
総じていえることは、郊外化と大量消費社会と生活と生産(労働)分離、さらに家族という共同体は密接な関係があり、同時に生じた現象であるということである。中間発表まではこの3要素は別次元で扱っていたが、このように再構成することで、明確なストーリーが組めるだろう。この郊外化は日本社会全体の傾向であり、郊外だけの問題ではない。そして現在、郊外が崩壊し始めたなか、新たな「消費」の場を作ることで共同体を構築させる必要を感じる。
本回は今後設計の手掛かりとなるポイントを自分なりにまとめた。
①建築をつくることで「場」を提供する。
われわれは建築を作ることによって郊外化による問題に立ち向かわなければならない。それはこれまで郊外にコミットしようとしなかった(無関心を装いあえて避けてきた)建築界に大罪があると思うからである。結果的に郊外のロードサイドのような均質な風景を作ってしまったといえる。実際に新建築には郊外のロードサイドにある建築は一切取り扱われていない。これは建築界に対する警鐘でもあるのだ。
②ゆるやかな共同体
郊外において故郷喪失により強固な共同性が欠如している。はたして昔あったといえるこのような共同性を復活させることは可能なのか。郊外で育った自分にとって共同意識がないため甚だ疑問なのである。そこで短期間であるがそこにあり、離散、集合と常に形を変えていく確かにあるゆるやかな共同体は作れないかと思う。
③生産(労働)と廃棄の距離が近い「消費」の場
郊外はいわば「消費」の場である。そこではいかに「消費」したかがステータスとなる。以前は都市は労働(生産)、郊外は消費(生活)と明確に区分されていたが、現在は単調にはいかない。東京にあるものはすべてイオンで手に入り(手に入るように思わされる)、東京は憧れの場ではなく単なる娯楽の場となっている。郊外がイオンによって自己完結化(郊内化)してきている。郊外の若者たちは都心に行かずフリーター化している。このような変化の中で、「消費」の場は単に「消費」するだけの場ではなく、生産や廃棄が垣間見える場である必要がある。まちの多様化にもつながる。
④混在(カオス)を許容する場
郊外は機能主義的に土地利用が決まり、私有化が浸透している。そして極めて均質で単調な都市空間となってしまっている。郊外の若者にとってはそれが息苦しい。より人間味のある多様なまちが求められるのである。
⑤まちに溶け込み広がる。
郊外や地方におけるイオンは都市機能のほとんどを担っている。逆にイオンがなくなればそのまちの死を意味するのだ。このような集中化した都市機能を再びまちに開放するような、一種の大規模商業施設の解体を試みたい。

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