2009年12月13日日曜日

はじめに
20世紀後半は郊外の時代と言える。家族の発生、大量消費社会化、車社会化は消費の場が郊外になった影響である。しかし21世紀になった現代において、郊外化はさまざまな問題を引き起こした。
ロードサイドの均質化した風景の蔓延、地域格差、大型SCによる終わりなき商業圏の争いと、中心市街地、の衰退、生活の均質化と共同性の欠如がそれである。さらに近年では少子高齢化や節約志向の煽りを受けた大型ショッピングセンターやロードサイド小売店の撤退が公害の生活を脅かすものとなっている。
 このような中で公害における新しいライフスタイルの提案と都市と郊外の新たな関係性を考えるのが我々のテーマである。
 敷地は茨城県土浦市である。
 土浦市は歴史的にも時代からの古い街であるが、常磐線によって東京のベッドタウンとして宅地化が進んだ街である。しかし近年つくば研究学園都市の発展とつくばエクスプレスの開通により、人口の増加はストップし、商圏はつくば市にうばわれ、中心市街地は衰退しつつある。さらに今年に入ってつくば市と土浦市の堺にイオン大規模ショッピングセンターが開店し、さらに土浦市の求心力が低下することは明らかである。
 本敷地はその影響を受けた中心地周辺の古くから開発された郊外住宅地である。土浦市は図書施設が不足していて駅前に図書館を建てる計画があるのだが、市の財政難で実施までは至っていない。そこで本敷地のロードサイドにある25年たつショッピングセンターを図書施設に改修し、出版機能と複合させることで、まちの、生活の情報端末として再生する。


地方、地域に根ざした出版と地方ジャーナリズムの意義
 <中央(東京)>に<中央>の責任として、自己のうちに内在するべきものとして周縁的なるものの発見の救出に努めるべきであろうし、<地方>は<地方>で、その地域にこだわりつつも他の<地域>文化との交流によって累積する文化の厚みと深さをねらうべきで、それは開かれたリージョナリズムのために大きな貢献を果たすことになるはずである。
では、<郊外>のもつ意味とはなにか。

<紙>の重要性 
紙はあらゆる情報を含んでいる。そうして紙としてあらわれた情報は取捨選択される。残される情報は本や資料といった形で蓄積され、図書館や書庫におかれていく。一方更新され、破棄される情報―書類・雑誌・新聞―は古紙となり、新たな紙媒体へと生まれ変わるべく、工場へと向かう。

近年、メディアの形は“コンテンツメディア”から“コミュニケーションメディア”へと変化しつつある。つまり発信者が一方的に情報を発信するのではなく、発信者と受信者が互いに呼応しあいながらコミュニケートしていく形へと移行しているのである。このメディアは現在では企業の市場マーケティングや行政の調査などに活用されている。こうしたメディアにはテレビやラジオといった形もあるが圧倒的にインターネットによる場合が多い。
だが、インターネットと紙の大きな違いは、情報を具現化することで、その情報の動ける範囲を限定することができるということである。また私たちは、本当に重要な資料や必ず目を通してほしい資料はやはり紙媒体にすることが多い。紙面に情報を具現化することによってはじめてその情報を深く理解することができるのではないだろうか。

本計画敷地のもつ意義と転換のねらい
本計画はロードサイドのショッピングセンターを「図書館+出版業」という機能へと転換させようとするものである。このショッピングセンターを敷地として選んだ理由としては
・この地がすでに地元の人々が日常的に訪れる場所であるということ(場所の重要性)
・この地域が車社会を基本とした開発がなされており、歩行者や自転車のことはほとんど考慮されていないが、実際は住宅地や公民館などの生活に関わる施設が混在する地域であり、歩行によってこうした施設を自由に、安全に、気軽にめぐり、まちへのアクションを起こすことが重要であると考えられる。現状では市民としてのまちへの責任感が生まれにくい。
・ロードサイドという立地は、人々が古紙などを持ってくる際に車を利用できる
 ・すでにアイコン性がある。
 ・均一に柱が並べられた建物の空間は、非常に幅の広い空間の可能性を含んでいる。
 ・二次元性、

ロードサイドを再評価することで新たな郊外の市民の自発性を誘発するようなメディア発信の場として生まれ変わらせることはできないかと考えた。

蓄積と創造の両立
図書館とは書物のための要塞である。書物は、たとえ新たな情報の媒体が出現しようと、書物のもつ価値が失われることはない。むしろその価値は再評価されるのである。図書館は、公共建築のなかでも一際特別な存在である。市民と書物のためだけに建てられたこの建築物は純粋な公共性を持った数少ない機能をもった建築物なのである。ここには膨大な、そして貴重な「蓄積」の場であり、人々はその心地よい蓄積のなかでここの時間を過ごす。
一方、情報を紙に表し、それを世間に公表するという行為には必ず「編集」という重要な段階を含んでいる。編集されることによって、作品や文章、人々の考え、思いははじめて存在するのである。
人々が自らの力で、自らのまちを編集し、それをまちに発信することで、自分たちがまちの一員であるという自覚が生まれる、かつての「郊外」とは違ったまちの姿が生まれるであろう。編集、出版という行為はまさに「創造」なのである。
ロードサイドという、公共性とかけ離れた商業的な性格を持っていた土地に、図書館という伝統的な「蓄積」の空間、そして出版という「創造」の場が融合した新たな建築が生まれる。そこには市民の自発性と責任、そして自律性と共同性を生み出すまちのシンボル的な拠点としての可能性を非常に含んでいるのである。

蓄積→発信→更新→蓄積という市民参加型のサイクル
 「紙類」は土浦市だけではなく、全国に共通してもっとも一般ごみのなかで占める割合が大きい。

たとえば書物のために図書館に集まる人々が家庭ごみからでる紙資源を同時に図書館に併設した古紙回収センターに持ってくる。こうして集められた古紙は、新たなまちに対する出版物として生まれ変わるためにただちに同じ場所でリサイクルされ、新たな再生紙となる。市民は自分の持ち込んだ古紙が資源として新たな紙になり、自分が発信し、受信する地域の出版物として生まれ変わる過程を常に意識することで、自らの行為が自分や、自分だけではなくマチに還元されているのだという実感を得ることができる。そうして出版された地域の情報は、一定の期間を経て市民の手でさらに編集され、ここに都市の新たな歴史が創造され、それは図書館に蓄積されていく。そうした情報をみるために訪れた市民の手には古紙があり・・・

こうしてまちには情報と資源と市民のサイクルが生まれるのである。

コンパクトシティへの展望
 ・・・



こんな感じをまとめられたらいいのかな。

2009年12月8日火曜日

思考ファイル7 蠢き

みえさんと話したことを含めて

何がやりたいか
いままでも言われたことですが指摘されたことを簡単にまとめます。
①特殊解を目指すか、一般解をめざすか。
②譲れないものはなにか。やることを縮小すべき。
③農業、ゴミはテーマに直結しづらい。イメージしづらい。
④SC(商業建築)と郊外の生活にスケールのギャップを感じる。
⑤新築をやりたいか、改築をやりたいか。
定まってないなあと思ったのはざっとこんな点です。細かいアドバイスはたくさんありました。

その時には答えられなかったけど、
①普遍的な問題→特殊な問題→特殊解→普遍解 って感じのストーリー構成じゃないでしょうか。そして設計は特殊解になると思います。特殊にもいろいろあるが、ふつうなものを特殊ととらえる感じがいいのではないでしょうか。少なくとも特殊解が特殊解に終わってしまう地産地消は肌にあいませんどうやら。
②崩壊する郊外の新たな生活を考える。SCの撤退が象徴的。ロードサイド建築を考える。
③譲れないものではない。商業建築、農業、ゴミという足かせを一回外したい。
④SCは違うものにすべきではないかなと。商業を扱うと、生活より流通や中心市街地を考えなければいけない気がする。
⑤これは回答しづらい。建築をつくりたいが、今あるものを活かしたいと言っておく。

かなりすっきりしました。明日はクリアーな目で敷地調査に臨みます。

2009年12月7日月曜日

土浦の環境

調べていることの途中報告をします。

日本で定義されている廃棄物のうち、今僕は一般廃棄物の処理状況について調べています。
(産業廃棄物を対象に扱うのは、建設プロジェクト数で
非常に排出量が変わるため全国レベルでしか調べてません)

廃棄処理のデータを見てみると、土浦で発生するゴミは
茨城県で約111万tに対し、その6.7tとその比重は少ない。
土浦にあるゴミ処理のうち、再資源化を行っている施設は0でした。リサイクルが弱いですね。

じっさい、廃棄物の中間処理施設による古いわけでなされる
廃棄物のリユーズなどのリサイクル率は12%でした。

主には焼却、これは茨城全市でも多く見られた処理の方法で、
詳細はもっとわかってきそうなので詳しくは明日報告に。


それと、情報をひとつ。
僕たちは農業を何かしらの形でこの議論中の建築物に組み込もうとしていますが、
食の廃棄としてはバイオマスではなく
現在有効とされているものが3つありました。
それらを主流順にいうと、
 ・肥料化
 ・資料化
 ・バイオガス(メタン化)だそうです。
このバイオガスの利用手段としては、
発電、またはガスボイラとして利用する手段があります。
(ガスボイラの場合、直接燃料利用と廃熱利用(温水の供給に繋がる)とで区別できるとか。)
また、量しだいでは、ガス会社や、近隣工場に供給する、または生産施設内で自家消費することも
考えら得るそうです。
実例として、京都府八木町のバイオエコロジーセンターは、
家畜糞尿におからを混ぜて発行させることで発生するガスを自家発電の原料に使っていそうでございますよ!

ここではバイオガスしか述べられなかったのですが、
もちろん肥料、飼料化のメリットもあります。
これらの処理方式を比較した表もあるので明日参考がてらに持っていきます。

あと、データの収集もそうですが、
これからは環境としてできることを、
「オプション」として提供していくことをガチでがんばっていきます!

2009年12月6日日曜日

思考ファイル6

 昨日考えたことを簡単に列記します。

機能再考
郊外の終焉。都市機能が集中し、消費の場のすべてを担うショッピングセンターが今後どうなるかわからない中。新たな消費の場を考えるはないのか。
昨日中西さんと話をしたが、プレゼンテーションでわかりやすい機能を提示した方がいいといわれた。商業建築を新たに建てるとしても、別の機能との組み合わせによって新たな消費の場を設計できないか。さらにショッピングセンターを完全に壊すのではなく、リノベーションでもなく、コンバージョンであればスムーズに説明可能な気がする。壊すことにもためらいが必要な時代かなと。たとえば倉庫にするとか工場にするとかして、メインの商業建築は駐車場の場所につくるとか。機能のブレーンストーミングを再度行いたい。盛り場をめざずにしても市場を作りましたじゃあらあらって感じだもんね。何個か考えてストーリーを考えてみるのもありだよね。

シビックプライドの意味
シビックプライドとは島田のいう日本古来からの郷土的、ムラ的愛着とは異なるようである。簡単にいえば、都市に対する自負、自分自体がまちの一部なのだと認識。要は責任感みたいなものらしい。それを持たせるためには簡単にはまちで楽しい体験をすることだという。しかし僕はそれだけでなく昨日言った生活のリアリティを感じさせることが重要なのではないか。生活の刺激にもつながるかもしれない。

ロードサイドにおいて景観を考える
やはり重要なのは内部空間以上に車からどうみえるかだろう。車という速度をもった新たか景観を均質化しない景観を作り出すべきである。

消費されていく短命な商業建築の宿命をうまく使えないだろうか
ものの需要はめまぐるしく変化する。その中でショッピングセンターの撤退もやむを得ない。しかし1か0かでなくて0.1や0.6もあり得るのではないか。それが建築のフォルムに影響すればなにかまちに対して影響力をもたすことができるのではないか。たとえばコンテナなどで売り場単位で建築を構成していくとか、需要と供給の関係で形態が変化していく。それがロードサイドへ表出する。形態の変化が生活のリアリティを感じる。

2009年12月5日土曜日

しまだの思うこと

吉田氏は『シリーズ都市・建築・歴史 都市・建築の現在』という本を読んだかな?
その中の中川理さんの”環境問題としての風景論”は3人の絶対の必読書だと思います。
この本にはまさにいままであたし達が話してきた”インテリア化する商業空間”の話がでてきてるの。
この本の面白いところは、商業空間がなぜ現状のようなテーマパークのような空間になってしまっているかを極めて論理的に説明しているところかな。
今わたしたちがもっている<景観>という概念が本来の意味を失って視覚的な意味が強い<風景>という意味合い強くなってしまっているということ。<景観>には本来は地表の空間的まとまりを表現する言葉であって、そこにはどちらかというと<風土>に近い意味を持っていたにもかかわらず、近代社会の宿命として、常にわたしたちが周囲の環境を客観的に分析しようとしてきたということ。その結果、象徴的・客観的な認識と、物理的あるいは生態的な側面からの認識との間にかつてありえた豊な関係を決定的に失いつつあるということ。(これを「風景転換」という)
ここまでは、まあ時折聞くはなしなんだけど。
この本ではさらにその先をきちんと説明してくれている。
「近代社会において、風景という概念は、人間が風土を客体として認識し、距離をおいたところから始まった。
その客体化の行き着く先として「風景転換」があった。しかし、社会科学のはったつは、次第に主体をも認識の対象としてしまうという事態に至る。つまり、認識する主体としての「わたし」が、「わたし」自身も認識の対象とするようになるそのけっかとして、主体はそれ自身もが風景になることをもとめるようになっていく。」
これがこの人の言う「ディズブーランダゼイション」。
で、この自分が風景になる、という「まなざし」を最も巧妙に空間化させて見せたのが、ショッピングセンンターを中心とした大規模商業施設のデザインであると。(本にはいくつかの事例が挙がっている。)
でもこうした商業空間の限定性は、一方で集客ノウハウとしてはきわめて有効だけれども、それはあたらしい「まなざし」の不安にこたえているからであって、実は主体の絶対性が失われる「まなざし」とは、常に不安定である。よりどころとなる絶対的な価値をもつことが難しいから。それを成り立たせる為に仮説的な限定をする、つまり限定された時間、空間、テーマをもって人々のその場限りの「まなざし」の欲望を満足させようとする。それが徹底的に限定化された大型商業空間であるということ。

さらにこの本にはそれら商業空間デザインの作例にいわゆる建築家と称される人々はほとんど関与していないことについても述べている。
これらはアメリカを中心とした商業施設専門の設計チームによって設計されるらしい。
でもこれにも、きちんと理由があるのだとさ。いや、すごいすごい納得する。このつづきは明日話します。

これを読んでいたり、昨日のエスキスをうけていたりすると、本当に都市と郊外の関係について考えていきたいなら、事業借用地権によって10年程度の期間限定で成立している大型商業施設を扱うことに、そもそも矛盾があるのではないかと思い始めたの。
今の私たちの考えで、どう頑張って商業施設を変質させようとしても、それは結局新たなテーマパーク的な存在を造り出すだけなんじゃないかと。(イオン土浦店も10年後にはべつの施設に変わっているだろう)
外に開いた、といってもそれは本当の意味で外に開いているのではなく、結局開いたその周囲を含めてあらたな限定されたこの本でいう「まなざし」の世界を造り出しているにすぎないんじゃないかって。
リサイクルという考え方は、消費のサイクルの中にある商品世界でのはなしであって、建築物をそうした商品世界の中にひきずりこむことは、建築を商品と同じように常に更新され続けるものへと変質させてしまうことだから、本来の建築の恒久的な存在が危ぶまれてしまうんじゃないかと。やっぱ”建築”をつくりたいじゃん??いくら社会的な問題に取り組みたいとはいえ。
だから、商業施設を考えることは大事なんだけど、それそのものを取り扱うかどうかは考え直したい。
違うアプローチがあるはず。

だれかみかんぐみの「ダメ建築」か『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』もしくはクライン・ダイサム・アーキテクツの 『メイド・イン・トーキョー』もってない??ちょっと話しのキーになるのよね。。
・・・・とにかくこの本のこの人の部分をみんなにも読んでほしい。明日一応頑張って説明するけど。コピーしてくるね。
これ読んでもあんまりわかんないかもしないけど、すまぬ。。。

TAエスキスを終えて

 TAエスキスが終わりました。みなさん夢打ち砕かれた気分かもしれませんが、僕は敢てここで声高々に掲げよう!僕たちはまちがってないと。

勝つための「戦略」を

 しかしそんなことをいくら言っても他の人の心をとらえない限り、関心を得られないでしょう。このテーマはアリが像に戦いを挑むようなものですから。気付かれずに呆っ気なく踏みつぶされてしまうかもしれないのです。
 そうならないために、何が問題でどうすれば解決できるかを明瞭にプレゼンテイトできるような「戦略」が必要だと感じました。「戦術」はありません。稲垣さんが指摘したように、自分たちがやりやすいように、やりたいことを明確に伝えられるように、条件を自分たちで設定することが重要なのです。僕たちには(特に僕かもしれない)報われない無意味なドM精神が働いていたようです。
 郊外の問題を解決するために何もド真ん中直球ストレートに大型ショッピングセンターを再編する必要性はないのではないかと思えました。富樫さんに指摘された通り、商業圏に見合う提案やイオン側にも価値がある提案など扱うべき問題を複雑にしてしまいます。
 仮にこれらをクリアしても、自分たちがやりたいことが明確に伝わるでしょうか。実現可能性を模索しすぎて、本来の目的を見失ってしまうのではないでしょうか。
 力のいれどころを考えるべきです。何となく成り立ってそうに見せるこれも「戦略」の一つです。無視はできません。
 そしてさらに重要なことは、どうすれば郊外の問題を明確に解決できるかです。ここに今後の議論の焦点を当て、条件を再検討するべきです。前段のテーマ設定の論理はほぼいいのではないかと思います。

僕の譲れないポイントしては
①郊外の問題を解決するような設計をし、新たな都心とも関係性を提案する。
②建築を作る。(複数でもよい)
③郊外の生活および消費の仕方の見直しを試みることで郊外の問題(均質化、共同性の欠如)を解決する。 
④大型ショッピングセンターの存在は意識しなくてはいけないし、何かしら関わっていくべきである。これらは悪いものとみなすスタンス
⑤ロードサイドの均質性には何らかの解を見出す。

そこから今後考えうる設計の条件の例を挙げてみます。
プランA 敷地に新たなスタイルの商業建築を全建て替えする。
プランB 敷地は現在の商業建築としての機能を停止、もしくは別の機能(バイオマス発電所、ゴミ収集所、工場、倉庫など)にし、別の場所に新たな商業建築を設計する。
プランc 敷地をピアタウンに移し、中心市街地とも関わりあう。土浦SCは意識する。

まだいろいろあると思います。みんなで意見をだしあいましょう!

2009年12月1日火曜日

12月2日の議論にあたって

明日の議論とエスキスにむけての準備について
大きく3つに別れる。
①ストーリー構成 (→論理を裏付けるデータ収集)
②敷地の選定 (→選定理由や敷地、周辺情報の収集)
③設計にむけての方向性 (→事例、環境的アプローチの資料収集)
最近議論が活発的でないので、進展が少ない気がしていて目標をもって合理的に議論したいですね。上記の議題をてぎわよく決めて、夜は個人作業(カッコの部分)に回したらどうでしょう?ひと区切りとしてアウトプットするのも重要だと思います。
①は自分なりに考えると以下になります。
①大量消費社会の終焉とともに郊外の崩壊と都市との関係性が変化する中で、新たな生活と共同体の場を提案する。郊外の崩壊とは、平均的豊かさを追求した結果生じた均質化と共同性の欠如。その元凶であるロードサイドの大型SCを再構成することでこれらの問題解決を試みる。具体的には単なる消費の場ではなく生産の場や廃棄の場も存在する異なったものが入り混ざった都市空間を目指す。
②、③は各自必ず意見を持ってきましょう。

②候補エリア(茨城県常磐線沿線)の選定基準
条件1 東京のベッドタウンとして開発された場所である。
条件2 つくばエクスプレスなどによる人口減少が起こっている。
条件3 近郊農業としての生産的資源がある。
候補地(a.土浦駅近辺ピアタウン・b.イオン土浦店・c.イオン下妻店・d.取手中規模SC群)からの選定基準
①のストーリーにあてはまるイメージしやすい場を選定する。
条件1 ロードサイドにたつ
条件2 周辺が均質化した郊外型住宅地
条件3 都市機能が集約されている大型SC
条件4 典型的な人間工学によって出来た空間
条件5 特殊解ではなく、普遍解として提案するため、典型的なわかりやすい場所が望ましい。
条件6 都心とのつながりを考えるため駅を意識できる距離にある。要検討

以上の条件から4つの候補を検証
a.キーテナントのカスミは実は現在はイオングループ。すべての条件をある程度満たしている。土浦駅から約1.5km 開店27周年らしい。
b.2009年オープンの環境を全面におしだした最先端イオンSC。つくば駅、土浦駅からそれぞれ車で20分くらい。敷地が広大である点、最先端を良しとするのかが議論の焦点
c.2008年にジャスコから改装。「下妻物語」の舞台。ベッドタウンとしての様相とは異なるか。5.6に難あり。
d.取手市の危機的衰退状況から郊外大型SCは存在しない。中規模SCを扱うか、さらに複数扱うか他の3候補とは設定は大きく異なる。3に難あり。

③議論の焦点 より具体的な
1.どこまでを設計対象とし、どこまでをプログラムで考えるか。生産、消費、廃棄 生活の範囲 都市範囲
2.商業分野を絞るか。1分野を主体と置くか、網羅的に扱うか。 食、さらに農業を考えるとかなり絞った分野となる。