はじめに
20世紀後半は郊外の時代と言える。家族の発生、大量消費社会化、車社会化は消費の場が郊外になった影響である。しかし21世紀になった現代において、郊外化はさまざまな問題を引き起こした。
ロードサイドの均質化した風景の蔓延、地域格差、大型SCによる終わりなき商業圏の争いと、中心市街地、の衰退、生活の均質化と共同性の欠如がそれである。さらに近年では少子高齢化や節約志向の煽りを受けた大型ショッピングセンターやロードサイド小売店の撤退が公害の生活を脅かすものとなっている。
このような中で公害における新しいライフスタイルの提案と都市と郊外の新たな関係性を考えるのが我々のテーマである。
敷地は茨城県土浦市である。
土浦市は歴史的にも時代からの古い街であるが、常磐線によって東京のベッドタウンとして宅地化が進んだ街である。しかし近年つくば研究学園都市の発展とつくばエクスプレスの開通により、人口の増加はストップし、商圏はつくば市にうばわれ、中心市街地は衰退しつつある。さらに今年に入ってつくば市と土浦市の堺にイオン大規模ショッピングセンターが開店し、さらに土浦市の求心力が低下することは明らかである。
本敷地はその影響を受けた中心地周辺の古くから開発された郊外住宅地である。土浦市は図書施設が不足していて駅前に図書館を建てる計画があるのだが、市の財政難で実施までは至っていない。そこで本敷地のロードサイドにある25年たつショッピングセンターを図書施設に改修し、出版機能と複合させることで、まちの、生活の情報端末として再生する。
地方、地域に根ざした出版と地方ジャーナリズムの意義
<中央(東京)>に<中央>の責任として、自己のうちに内在するべきものとして周縁的なるものの発見の救出に努めるべきであろうし、<地方>は<地方>で、その地域にこだわりつつも他の<地域>文化との交流によって累積する文化の厚みと深さをねらうべきで、それは開かれたリージョナリズムのために大きな貢献を果たすことになるはずである。
では、<郊外>のもつ意味とはなにか。
<紙>の重要性
紙はあらゆる情報を含んでいる。そうして紙としてあらわれた情報は取捨選択される。残される情報は本や資料といった形で蓄積され、図書館や書庫におかれていく。一方更新され、破棄される情報―書類・雑誌・新聞―は古紙となり、新たな紙媒体へと生まれ変わるべく、工場へと向かう。
近年、メディアの形は“コンテンツメディア”から“コミュニケーションメディア”へと変化しつつある。つまり発信者が一方的に情報を発信するのではなく、発信者と受信者が互いに呼応しあいながらコミュニケートしていく形へと移行しているのである。このメディアは現在では企業の市場マーケティングや行政の調査などに活用されている。こうしたメディアにはテレビやラジオといった形もあるが圧倒的にインターネットによる場合が多い。
だが、インターネットと紙の大きな違いは、情報を具現化することで、その情報の動ける範囲を限定することができるということである。また私たちは、本当に重要な資料や必ず目を通してほしい資料はやはり紙媒体にすることが多い。紙面に情報を具現化することによってはじめてその情報を深く理解することができるのではないだろうか。
本計画敷地のもつ意義と転換のねらい
本計画はロードサイドのショッピングセンターを「図書館+出版業」という機能へと転換させようとするものである。このショッピングセンターを敷地として選んだ理由としては
・この地がすでに地元の人々が日常的に訪れる場所であるということ(場所の重要性)
・この地域が車社会を基本とした開発がなされており、歩行者や自転車のことはほとんど考慮されていないが、実際は住宅地や公民館などの生活に関わる施設が混在する地域であり、歩行によってこうした施設を自由に、安全に、気軽にめぐり、まちへのアクションを起こすことが重要であると考えられる。現状では市民としてのまちへの責任感が生まれにくい。
・ロードサイドという立地は、人々が古紙などを持ってくる際に車を利用できる
・すでにアイコン性がある。
・均一に柱が並べられた建物の空間は、非常に幅の広い空間の可能性を含んでいる。
・二次元性、
ロードサイドを再評価することで新たな郊外の市民の自発性を誘発するようなメディア発信の場として生まれ変わらせることはできないかと考えた。
蓄積と創造の両立
図書館とは書物のための要塞である。書物は、たとえ新たな情報の媒体が出現しようと、書物のもつ価値が失われることはない。むしろその価値は再評価されるのである。図書館は、公共建築のなかでも一際特別な存在である。市民と書物のためだけに建てられたこの建築物は純粋な公共性を持った数少ない機能をもった建築物なのである。ここには膨大な、そして貴重な「蓄積」の場であり、人々はその心地よい蓄積のなかでここの時間を過ごす。
一方、情報を紙に表し、それを世間に公表するという行為には必ず「編集」という重要な段階を含んでいる。編集されることによって、作品や文章、人々の考え、思いははじめて存在するのである。
人々が自らの力で、自らのまちを編集し、それをまちに発信することで、自分たちがまちの一員であるという自覚が生まれる、かつての「郊外」とは違ったまちの姿が生まれるであろう。編集、出版という行為はまさに「創造」なのである。
ロードサイドという、公共性とかけ離れた商業的な性格を持っていた土地に、図書館という伝統的な「蓄積」の空間、そして出版という「創造」の場が融合した新たな建築が生まれる。そこには市民の自発性と責任、そして自律性と共同性を生み出すまちのシンボル的な拠点としての可能性を非常に含んでいるのである。
蓄積→発信→更新→蓄積という市民参加型のサイクル
「紙類」は土浦市だけではなく、全国に共通してもっとも一般ごみのなかで占める割合が大きい。
たとえば書物のために図書館に集まる人々が家庭ごみからでる紙資源を同時に図書館に併設した古紙回収センターに持ってくる。こうして集められた古紙は、新たなまちに対する出版物として生まれ変わるためにただちに同じ場所でリサイクルされ、新たな再生紙となる。市民は自分の持ち込んだ古紙が資源として新たな紙になり、自分が発信し、受信する地域の出版物として生まれ変わる過程を常に意識することで、自らの行為が自分や、自分だけではなくマチに還元されているのだという実感を得ることができる。そうして出版された地域の情報は、一定の期間を経て市民の手でさらに編集され、ここに都市の新たな歴史が創造され、それは図書館に蓄積されていく。そうした情報をみるために訪れた市民の手には古紙があり・・・
こうしてまちには情報と資源と市民のサイクルが生まれるのである。
コンパクトシティへの展望
・・・
こんな感じをまとめられたらいいのかな。
2009年12月8日火曜日
思考ファイル7 蠢き
みえさんと話したことを含めて
何がやりたいか
いままでも言われたことですが指摘されたことを簡単にまとめます。
①特殊解を目指すか、一般解をめざすか。
②譲れないものはなにか。やることを縮小すべき。
③農業、ゴミはテーマに直結しづらい。イメージしづらい。
④SC(商業建築)と郊外の生活にスケールのギャップを感じる。
⑤新築をやりたいか、改築をやりたいか。
定まってないなあと思ったのはざっとこんな点です。細かいアドバイスはたくさんありました。
その時には答えられなかったけど、
①普遍的な問題→特殊な問題→特殊解→普遍解 って感じのストーリー構成じゃないでしょうか。そして設計は特殊解になると思います。特殊にもいろいろあるが、ふつうなものを特殊ととらえる感じがいいのではないでしょうか。少なくとも特殊解が特殊解に終わってしまう地産地消は肌にあいませんどうやら。
②崩壊する郊外の新たな生活を考える。SCの撤退が象徴的。ロードサイド建築を考える。
③譲れないものではない。商業建築、農業、ゴミという足かせを一回外したい。
④SCは違うものにすべきではないかなと。商業を扱うと、生活より流通や中心市街地を考えなければいけない気がする。
⑤これは回答しづらい。建築をつくりたいが、今あるものを活かしたいと言っておく。
かなりすっきりしました。明日はクリアーな目で敷地調査に臨みます。
何がやりたいか
いままでも言われたことですが指摘されたことを簡単にまとめます。
①特殊解を目指すか、一般解をめざすか。
②譲れないものはなにか。やることを縮小すべき。
③農業、ゴミはテーマに直結しづらい。イメージしづらい。
④SC(商業建築)と郊外の生活にスケールのギャップを感じる。
⑤新築をやりたいか、改築をやりたいか。
定まってないなあと思ったのはざっとこんな点です。細かいアドバイスはたくさんありました。
その時には答えられなかったけど、
①普遍的な問題→特殊な問題→特殊解→普遍解 って感じのストーリー構成じゃないでしょうか。そして設計は特殊解になると思います。特殊にもいろいろあるが、ふつうなものを特殊ととらえる感じがいいのではないでしょうか。少なくとも特殊解が特殊解に終わってしまう地産地消は肌にあいませんどうやら。
②崩壊する郊外の新たな生活を考える。SCの撤退が象徴的。ロードサイド建築を考える。
③譲れないものではない。商業建築、農業、ゴミという足かせを一回外したい。
④SCは違うものにすべきではないかなと。商業を扱うと、生活より流通や中心市街地を考えなければいけない気がする。
⑤これは回答しづらい。建築をつくりたいが、今あるものを活かしたいと言っておく。
かなりすっきりしました。明日はクリアーな目で敷地調査に臨みます。
2009年12月7日月曜日
土浦の環境
調べていることの途中報告をします。
日本で定義されている廃棄物のうち、今僕は一般廃棄物の処理状況について調べています。
(産業廃棄物を対象に扱うのは、建設プロジェクト数で
非常に排出量が変わるため全国レベルでしか調べてません)
廃棄処理のデータを見てみると、土浦で発生するゴミは
茨城県で約111万tに対し、その6.7tとその比重は少ない。
土浦にあるゴミ処理のうち、再資源化を行っている施設は0でした。リサイクルが弱いですね。
じっさい、廃棄物の中間処理施設による古いわけでなされる
廃棄物のリユーズなどのリサイクル率は12%でした。
主には焼却、これは茨城全市でも多く見られた処理の方法で、
詳細はもっとわかってきそうなので詳しくは明日報告に。
それと、情報をひとつ。
僕たちは農業を何かしらの形でこの議論中の建築物に組み込もうとしていますが、
食の廃棄としてはバイオマスではなく
現在有効とされているものが3つありました。
それらを主流順にいうと、
・肥料化
・資料化
・バイオガス(メタン化)だそうです。
このバイオガスの利用手段としては、
発電、またはガスボイラとして利用する手段があります。
(ガスボイラの場合、直接燃料利用と廃熱利用(温水の供給に繋がる)とで区別できるとか。)
また、量しだいでは、ガス会社や、近隣工場に供給する、または生産施設内で自家消費することも
考えら得るそうです。
実例として、京都府八木町のバイオエコロジーセンターは、
家畜糞尿におからを混ぜて発行させることで発生するガスを自家発電の原料に使っていそうでございますよ!
ここではバイオガスしか述べられなかったのですが、
もちろん肥料、飼料化のメリットもあります。
これらの処理方式を比較した表もあるので明日参考がてらに持っていきます。
あと、データの収集もそうですが、
これからは環境としてできることを、
「オプション」として提供していくことをガチでがんばっていきます!
日本で定義されている廃棄物のうち、今僕は一般廃棄物の処理状況について調べています。
(産業廃棄物を対象に扱うのは、建設プロジェクト数で
非常に排出量が変わるため全国レベルでしか調べてません)
廃棄処理のデータを見てみると、土浦で発生するゴミは
茨城県で約111万tに対し、その6.7tとその比重は少ない。
土浦にあるゴミ処理のうち、再資源化を行っている施設は0でした。リサイクルが弱いですね。
じっさい、廃棄物の中間処理施設による古いわけでなされる
廃棄物のリユーズなどのリサイクル率は12%でした。
主には焼却、これは茨城全市でも多く見られた処理の方法で、
詳細はもっとわかってきそうなので詳しくは明日報告に。
それと、情報をひとつ。
僕たちは農業を何かしらの形でこの議論中の建築物に組み込もうとしていますが、
食の廃棄としてはバイオマスではなく
現在有効とされているものが3つありました。
それらを主流順にいうと、
・肥料化
・資料化
・バイオガス(メタン化)だそうです。
このバイオガスの利用手段としては、
発電、またはガスボイラとして利用する手段があります。
(ガスボイラの場合、直接燃料利用と廃熱利用(温水の供給に繋がる)とで区別できるとか。)
また、量しだいでは、ガス会社や、近隣工場に供給する、または生産施設内で自家消費することも
考えら得るそうです。
実例として、京都府八木町のバイオエコロジーセンターは、
家畜糞尿におからを混ぜて発行させることで発生するガスを自家発電の原料に使っていそうでございますよ!
ここではバイオガスしか述べられなかったのですが、
もちろん肥料、飼料化のメリットもあります。
これらの処理方式を比較した表もあるので明日参考がてらに持っていきます。
あと、データの収集もそうですが、
これからは環境としてできることを、
「オプション」として提供していくことをガチでがんばっていきます!
2009年12月6日日曜日
思考ファイル6
昨日考えたことを簡単に列記します。
機能再考
郊外の終焉。都市機能が集中し、消費の場のすべてを担うショッピングセンターが今後どうなるかわからない中。新たな消費の場を考えるはないのか。
昨日中西さんと話をしたが、プレゼンテーションでわかりやすい機能を提示した方がいいといわれた。商業建築を新たに建てるとしても、別の機能との組み合わせによって新たな消費の場を設計できないか。さらにショッピングセンターを完全に壊すのではなく、リノベーションでもなく、コンバージョンであればスムーズに説明可能な気がする。壊すことにもためらいが必要な時代かなと。たとえば倉庫にするとか工場にするとかして、メインの商業建築は駐車場の場所につくるとか。機能のブレーンストーミングを再度行いたい。盛り場をめざずにしても市場を作りましたじゃあらあらって感じだもんね。何個か考えてストーリーを考えてみるのもありだよね。
シビックプライドの意味
シビックプライドとは島田のいう日本古来からの郷土的、ムラ的愛着とは異なるようである。簡単にいえば、都市に対する自負、自分自体がまちの一部なのだと認識。要は責任感みたいなものらしい。それを持たせるためには簡単にはまちで楽しい体験をすることだという。しかし僕はそれだけでなく昨日言った生活のリアリティを感じさせることが重要なのではないか。生活の刺激にもつながるかもしれない。
ロードサイドにおいて景観を考える
やはり重要なのは内部空間以上に車からどうみえるかだろう。車という速度をもった新たか景観を均質化しない景観を作り出すべきである。
消費されていく短命な商業建築の宿命をうまく使えないだろうか
ものの需要はめまぐるしく変化する。その中でショッピングセンターの撤退もやむを得ない。しかし1か0かでなくて0.1や0.6もあり得るのではないか。それが建築のフォルムに影響すればなにかまちに対して影響力をもたすことができるのではないか。たとえばコンテナなどで売り場単位で建築を構成していくとか、需要と供給の関係で形態が変化していく。それがロードサイドへ表出する。形態の変化が生活のリアリティを感じる。
機能再考
郊外の終焉。都市機能が集中し、消費の場のすべてを担うショッピングセンターが今後どうなるかわからない中。新たな消費の場を考えるはないのか。
昨日中西さんと話をしたが、プレゼンテーションでわかりやすい機能を提示した方がいいといわれた。商業建築を新たに建てるとしても、別の機能との組み合わせによって新たな消費の場を設計できないか。さらにショッピングセンターを完全に壊すのではなく、リノベーションでもなく、コンバージョンであればスムーズに説明可能な気がする。壊すことにもためらいが必要な時代かなと。たとえば倉庫にするとか工場にするとかして、メインの商業建築は駐車場の場所につくるとか。機能のブレーンストーミングを再度行いたい。盛り場をめざずにしても市場を作りましたじゃあらあらって感じだもんね。何個か考えてストーリーを考えてみるのもありだよね。
シビックプライドの意味
シビックプライドとは島田のいう日本古来からの郷土的、ムラ的愛着とは異なるようである。簡単にいえば、都市に対する自負、自分自体がまちの一部なのだと認識。要は責任感みたいなものらしい。それを持たせるためには簡単にはまちで楽しい体験をすることだという。しかし僕はそれだけでなく昨日言った生活のリアリティを感じさせることが重要なのではないか。生活の刺激にもつながるかもしれない。
ロードサイドにおいて景観を考える
やはり重要なのは内部空間以上に車からどうみえるかだろう。車という速度をもった新たか景観を均質化しない景観を作り出すべきである。
消費されていく短命な商業建築の宿命をうまく使えないだろうか
ものの需要はめまぐるしく変化する。その中でショッピングセンターの撤退もやむを得ない。しかし1か0かでなくて0.1や0.6もあり得るのではないか。それが建築のフォルムに影響すればなにかまちに対して影響力をもたすことができるのではないか。たとえばコンテナなどで売り場単位で建築を構成していくとか、需要と供給の関係で形態が変化していく。それがロードサイドへ表出する。形態の変化が生活のリアリティを感じる。
2009年12月5日土曜日
しまだの思うこと
吉田氏は『シリーズ都市・建築・歴史 都市・建築の現在』という本を読んだかな?
その中の中川理さんの”環境問題としての風景論”は3人の絶対の必読書だと思います。
この本にはまさにいままであたし達が話してきた”インテリア化する商業空間”の話がでてきてるの。
この本の面白いところは、商業空間がなぜ現状のようなテーマパークのような空間になってしまっているかを極めて論理的に説明しているところかな。
今わたしたちがもっている<景観>という概念が本来の意味を失って視覚的な意味が強い<風景>という意味合い強くなってしまっているということ。<景観>には本来は地表の空間的まとまりを表現する言葉であって、そこにはどちらかというと<風土>に近い意味を持っていたにもかかわらず、近代社会の宿命として、常にわたしたちが周囲の環境を客観的に分析しようとしてきたということ。その結果、象徴的・客観的な認識と、物理的あるいは生態的な側面からの認識との間にかつてありえた豊な関係を決定的に失いつつあるということ。(これを「風景転換」という)
ここまでは、まあ時折聞くはなしなんだけど。
この本ではさらにその先をきちんと説明してくれている。
「近代社会において、風景という概念は、人間が風土を客体として認識し、距離をおいたところから始まった。
その客体化の行き着く先として「風景転換」があった。しかし、社会科学のはったつは、次第に主体をも認識の対象としてしまうという事態に至る。つまり、認識する主体としての「わたし」が、「わたし」自身も認識の対象とするようになるそのけっかとして、主体はそれ自身もが風景になることをもとめるようになっていく。」
これがこの人の言う「ディズブーランダゼイション」。
で、この自分が風景になる、という「まなざし」を最も巧妙に空間化させて見せたのが、ショッピングセンンターを中心とした大規模商業施設のデザインであると。(本にはいくつかの事例が挙がっている。)
でもこうした商業空間の限定性は、一方で集客ノウハウとしてはきわめて有効だけれども、それはあたらしい「まなざし」の不安にこたえているからであって、実は主体の絶対性が失われる「まなざし」とは、常に不安定である。よりどころとなる絶対的な価値をもつことが難しいから。それを成り立たせる為に仮説的な限定をする、つまり限定された時間、空間、テーマをもって人々のその場限りの「まなざし」の欲望を満足させようとする。それが徹底的に限定化された大型商業空間であるということ。
さらにこの本にはそれら商業空間デザインの作例にいわゆる建築家と称される人々はほとんど関与していないことについても述べている。
これらはアメリカを中心とした商業施設専門の設計チームによって設計されるらしい。
でもこれにも、きちんと理由があるのだとさ。いや、すごいすごい納得する。このつづきは明日話します。
これを読んでいたり、昨日のエスキスをうけていたりすると、本当に都市と郊外の関係について考えていきたいなら、事業借用地権によって10年程度の期間限定で成立している大型商業施設を扱うことに、そもそも矛盾があるのではないかと思い始めたの。
今の私たちの考えで、どう頑張って商業施設を変質させようとしても、それは結局新たなテーマパーク的な存在を造り出すだけなんじゃないかと。(イオン土浦店も10年後にはべつの施設に変わっているだろう)
外に開いた、といってもそれは本当の意味で外に開いているのではなく、結局開いたその周囲を含めてあらたな限定されたこの本でいう「まなざし」の世界を造り出しているにすぎないんじゃないかって。
リサイクルという考え方は、消費のサイクルの中にある商品世界でのはなしであって、建築物をそうした商品世界の中にひきずりこむことは、建築を商品と同じように常に更新され続けるものへと変質させてしまうことだから、本来の建築の恒久的な存在が危ぶまれてしまうんじゃないかと。やっぱ”建築”をつくりたいじゃん??いくら社会的な問題に取り組みたいとはいえ。
だから、商業施設を考えることは大事なんだけど、それそのものを取り扱うかどうかは考え直したい。
違うアプローチがあるはず。
だれかみかんぐみの「ダメ建築」か『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』もしくはクライン・ダイサム・アーキテクツの 『メイド・イン・トーキョー』もってない??ちょっと話しのキーになるのよね。。
・・・・とにかくこの本のこの人の部分をみんなにも読んでほしい。明日一応頑張って説明するけど。コピーしてくるね。
これ読んでもあんまりわかんないかもしないけど、すまぬ。。。
その中の中川理さんの”環境問題としての風景論”は3人の絶対の必読書だと思います。
この本にはまさにいままであたし達が話してきた”インテリア化する商業空間”の話がでてきてるの。
この本の面白いところは、商業空間がなぜ現状のようなテーマパークのような空間になってしまっているかを極めて論理的に説明しているところかな。
今わたしたちがもっている<景観>という概念が本来の意味を失って視覚的な意味が強い<風景>という意味合い強くなってしまっているということ。<景観>には本来は地表の空間的まとまりを表現する言葉であって、そこにはどちらかというと<風土>に近い意味を持っていたにもかかわらず、近代社会の宿命として、常にわたしたちが周囲の環境を客観的に分析しようとしてきたということ。その結果、象徴的・客観的な認識と、物理的あるいは生態的な側面からの認識との間にかつてありえた豊な関係を決定的に失いつつあるということ。(これを「風景転換」という)
ここまでは、まあ時折聞くはなしなんだけど。
この本ではさらにその先をきちんと説明してくれている。
「近代社会において、風景という概念は、人間が風土を客体として認識し、距離をおいたところから始まった。
その客体化の行き着く先として「風景転換」があった。しかし、社会科学のはったつは、次第に主体をも認識の対象としてしまうという事態に至る。つまり、認識する主体としての「わたし」が、「わたし」自身も認識の対象とするようになるそのけっかとして、主体はそれ自身もが風景になることをもとめるようになっていく。」
これがこの人の言う「ディズブーランダゼイション」。
で、この自分が風景になる、という「まなざし」を最も巧妙に空間化させて見せたのが、ショッピングセンンターを中心とした大規模商業施設のデザインであると。(本にはいくつかの事例が挙がっている。)
でもこうした商業空間の限定性は、一方で集客ノウハウとしてはきわめて有効だけれども、それはあたらしい「まなざし」の不安にこたえているからであって、実は主体の絶対性が失われる「まなざし」とは、常に不安定である。よりどころとなる絶対的な価値をもつことが難しいから。それを成り立たせる為に仮説的な限定をする、つまり限定された時間、空間、テーマをもって人々のその場限りの「まなざし」の欲望を満足させようとする。それが徹底的に限定化された大型商業空間であるということ。
さらにこの本にはそれら商業空間デザインの作例にいわゆる建築家と称される人々はほとんど関与していないことについても述べている。
これらはアメリカを中心とした商業施設専門の設計チームによって設計されるらしい。
でもこれにも、きちんと理由があるのだとさ。いや、すごいすごい納得する。このつづきは明日話します。
これを読んでいたり、昨日のエスキスをうけていたりすると、本当に都市と郊外の関係について考えていきたいなら、事業借用地権によって10年程度の期間限定で成立している大型商業施設を扱うことに、そもそも矛盾があるのではないかと思い始めたの。
今の私たちの考えで、どう頑張って商業施設を変質させようとしても、それは結局新たなテーマパーク的な存在を造り出すだけなんじゃないかと。(イオン土浦店も10年後にはべつの施設に変わっているだろう)
外に開いた、といってもそれは本当の意味で外に開いているのではなく、結局開いたその周囲を含めてあらたな限定されたこの本でいう「まなざし」の世界を造り出しているにすぎないんじゃないかって。
リサイクルという考え方は、消費のサイクルの中にある商品世界でのはなしであって、建築物をそうした商品世界の中にひきずりこむことは、建築を商品と同じように常に更新され続けるものへと変質させてしまうことだから、本来の建築の恒久的な存在が危ぶまれてしまうんじゃないかと。やっぱ”建築”をつくりたいじゃん??いくら社会的な問題に取り組みたいとはいえ。
だから、商業施設を考えることは大事なんだけど、それそのものを取り扱うかどうかは考え直したい。
違うアプローチがあるはず。
だれかみかんぐみの「ダメ建築」か『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』もしくはクライン・ダイサム・アーキテクツの 『メイド・イン・トーキョー』もってない??ちょっと話しのキーになるのよね。。
・・・・とにかくこの本のこの人の部分をみんなにも読んでほしい。明日一応頑張って説明するけど。コピーしてくるね。
これ読んでもあんまりわかんないかもしないけど、すまぬ。。。
TAエスキスを終えて
TAエスキスが終わりました。みなさん夢打ち砕かれた気分かもしれませんが、僕は敢てここで声高々に掲げよう!僕たちはまちがってないと。
勝つための「戦略」を
しかしそんなことをいくら言っても他の人の心をとらえない限り、関心を得られないでしょう。このテーマはアリが像に戦いを挑むようなものですから。気付かれずに呆っ気なく踏みつぶされてしまうかもしれないのです。
そうならないために、何が問題でどうすれば解決できるかを明瞭にプレゼンテイトできるような「戦略」が必要だと感じました。「戦術」はありません。稲垣さんが指摘したように、自分たちがやりやすいように、やりたいことを明確に伝えられるように、条件を自分たちで設定することが重要なのです。僕たちには(特に僕かもしれない)報われない無意味なドM精神が働いていたようです。
郊外の問題を解決するために何もド真ん中直球ストレートに大型ショッピングセンターを再編する必要性はないのではないかと思えました。富樫さんに指摘された通り、商業圏に見合う提案やイオン側にも価値がある提案など扱うべき問題を複雑にしてしまいます。
仮にこれらをクリアしても、自分たちがやりたいことが明確に伝わるでしょうか。実現可能性を模索しすぎて、本来の目的を見失ってしまうのではないでしょうか。
力のいれどころを考えるべきです。何となく成り立ってそうに見せるこれも「戦略」の一つです。無視はできません。
そしてさらに重要なことは、どうすれば郊外の問題を明確に解決できるかです。ここに今後の議論の焦点を当て、条件を再検討するべきです。前段のテーマ設定の論理はほぼいいのではないかと思います。
僕の譲れないポイントしては
①郊外の問題を解決するような設計をし、新たな都心とも関係性を提案する。
②建築を作る。(複数でもよい)
③郊外の生活および消費の仕方の見直しを試みることで郊外の問題(均質化、共同性の欠如)を解決する。
④大型ショッピングセンターの存在は意識しなくてはいけないし、何かしら関わっていくべきである。これらは悪いものとみなすスタンス
⑤ロードサイドの均質性には何らかの解を見出す。
」
そこから今後考えうる設計の条件の例を挙げてみます。
プランA 敷地に新たなスタイルの商業建築を全建て替えする。
プランB 敷地は現在の商業建築としての機能を停止、もしくは別の機能(バイオマス発電所、ゴミ収集所、工場、倉庫など)にし、別の場所に新たな商業建築を設計する。
プランc 敷地をピアタウンに移し、中心市街地とも関わりあう。土浦SCは意識する。
まだいろいろあると思います。みんなで意見をだしあいましょう!
勝つための「戦略」を
しかしそんなことをいくら言っても他の人の心をとらえない限り、関心を得られないでしょう。このテーマはアリが像に戦いを挑むようなものですから。気付かれずに呆っ気なく踏みつぶされてしまうかもしれないのです。
そうならないために、何が問題でどうすれば解決できるかを明瞭にプレゼンテイトできるような「戦略」が必要だと感じました。「戦術」はありません。稲垣さんが指摘したように、自分たちがやりやすいように、やりたいことを明確に伝えられるように、条件を自分たちで設定することが重要なのです。僕たちには(特に僕かもしれない)報われない無意味なドM精神が働いていたようです。
郊外の問題を解決するために何もド真ん中直球ストレートに大型ショッピングセンターを再編する必要性はないのではないかと思えました。富樫さんに指摘された通り、商業圏に見合う提案やイオン側にも価値がある提案など扱うべき問題を複雑にしてしまいます。
仮にこれらをクリアしても、自分たちがやりたいことが明確に伝わるでしょうか。実現可能性を模索しすぎて、本来の目的を見失ってしまうのではないでしょうか。
力のいれどころを考えるべきです。何となく成り立ってそうに見せるこれも「戦略」の一つです。無視はできません。
そしてさらに重要なことは、どうすれば郊外の問題を明確に解決できるかです。ここに今後の議論の焦点を当て、条件を再検討するべきです。前段のテーマ設定の論理はほぼいいのではないかと思います。
僕の譲れないポイントしては
①郊外の問題を解決するような設計をし、新たな都心とも関係性を提案する。
②建築を作る。(複数でもよい)
③郊外の生活および消費の仕方の見直しを試みることで郊外の問題(均質化、共同性の欠如)を解決する。
④大型ショッピングセンターの存在は意識しなくてはいけないし、何かしら関わっていくべきである。これらは悪いものとみなすスタンス
⑤ロードサイドの均質性には何らかの解を見出す。
」
そこから今後考えうる設計の条件の例を挙げてみます。
プランA 敷地に新たなスタイルの商業建築を全建て替えする。
プランB 敷地は現在の商業建築としての機能を停止、もしくは別の機能(バイオマス発電所、ゴミ収集所、工場、倉庫など)にし、別の場所に新たな商業建築を設計する。
プランc 敷地をピアタウンに移し、中心市街地とも関わりあう。土浦SCは意識する。
まだいろいろあると思います。みんなで意見をだしあいましょう!
2009年12月1日火曜日
12月2日の議論にあたって
明日の議論とエスキスにむけての準備について
大きく3つに別れる。
①ストーリー構成 (→論理を裏付けるデータ収集)
②敷地の選定 (→選定理由や敷地、周辺情報の収集)
③設計にむけての方向性 (→事例、環境的アプローチの資料収集)
最近議論が活発的でないので、進展が少ない気がしていて目標をもって合理的に議論したいですね。上記の議題をてぎわよく決めて、夜は個人作業(カッコの部分)に回したらどうでしょう?ひと区切りとしてアウトプットするのも重要だと思います。
①は自分なりに考えると以下になります。
①大量消費社会の終焉とともに郊外の崩壊と都市との関係性が変化する中で、新たな生活と共同体の場を提案する。郊外の崩壊とは、平均的豊かさを追求した結果生じた均質化と共同性の欠如。その元凶であるロードサイドの大型SCを再構成することでこれらの問題解決を試みる。具体的には単なる消費の場ではなく生産の場や廃棄の場も存在する異なったものが入り混ざった都市空間を目指す。
②、③は各自必ず意見を持ってきましょう。
②候補エリア(茨城県常磐線沿線)の選定基準
条件1 東京のベッドタウンとして開発された場所である。
条件2 つくばエクスプレスなどによる人口減少が起こっている。
条件3 近郊農業としての生産的資源がある。
候補地(a.土浦駅近辺ピアタウン・b.イオン土浦店・c.イオン下妻店・d.取手中規模SC群)からの選定基準
①のストーリーにあてはまるイメージしやすい場を選定する。
条件1 ロードサイドにたつ
条件2 周辺が均質化した郊外型住宅地
条件3 都市機能が集約されている大型SC
条件4 典型的な人間工学によって出来た空間
条件5 特殊解ではなく、普遍解として提案するため、典型的なわかりやすい場所が望ましい。
条件6 都心とのつながりを考えるため駅を意識できる距離にある。要検討
以上の条件から4つの候補を検証
a.キーテナントのカスミは実は現在はイオングループ。すべての条件をある程度満たしている。土浦駅から約1.5km 開店27周年らしい。
b.2009年オープンの環境を全面におしだした最先端イオンSC。つくば駅、土浦駅からそれぞれ車で20分くらい。敷地が広大である点、最先端を良しとするのかが議論の焦点
c.2008年にジャスコから改装。「下妻物語」の舞台。ベッドタウンとしての様相とは異なるか。5.6に難あり。
d.取手市の危機的衰退状況から郊外大型SCは存在しない。中規模SCを扱うか、さらに複数扱うか他の3候補とは設定は大きく異なる。3に難あり。
③議論の焦点 より具体的な
1.どこまでを設計対象とし、どこまでをプログラムで考えるか。生産、消費、廃棄 生活の範囲 都市範囲
2.商業分野を絞るか。1分野を主体と置くか、網羅的に扱うか。 食、さらに農業を考えるとかなり絞った分野となる。
大きく3つに別れる。
①ストーリー構成 (→論理を裏付けるデータ収集)
②敷地の選定 (→選定理由や敷地、周辺情報の収集)
③設計にむけての方向性 (→事例、環境的アプローチの資料収集)
最近議論が活発的でないので、進展が少ない気がしていて目標をもって合理的に議論したいですね。上記の議題をてぎわよく決めて、夜は個人作業(カッコの部分)に回したらどうでしょう?ひと区切りとしてアウトプットするのも重要だと思います。
①は自分なりに考えると以下になります。
①大量消費社会の終焉とともに郊外の崩壊と都市との関係性が変化する中で、新たな生活と共同体の場を提案する。郊外の崩壊とは、平均的豊かさを追求した結果生じた均質化と共同性の欠如。その元凶であるロードサイドの大型SCを再構成することでこれらの問題解決を試みる。具体的には単なる消費の場ではなく生産の場や廃棄の場も存在する異なったものが入り混ざった都市空間を目指す。
②、③は各自必ず意見を持ってきましょう。
②候補エリア(茨城県常磐線沿線)の選定基準
条件1 東京のベッドタウンとして開発された場所である。
条件2 つくばエクスプレスなどによる人口減少が起こっている。
条件3 近郊農業としての生産的資源がある。
候補地(a.土浦駅近辺ピアタウン・b.イオン土浦店・c.イオン下妻店・d.取手中規模SC群)からの選定基準
①のストーリーにあてはまるイメージしやすい場を選定する。
条件1 ロードサイドにたつ
条件2 周辺が均質化した郊外型住宅地
条件3 都市機能が集約されている大型SC
条件4 典型的な人間工学によって出来た空間
条件5 特殊解ではなく、普遍解として提案するため、典型的なわかりやすい場所が望ましい。
条件6 都心とのつながりを考えるため駅を意識できる距離にある。要検討
以上の条件から4つの候補を検証
a.キーテナントのカスミは実は現在はイオングループ。すべての条件をある程度満たしている。土浦駅から約1.5km 開店27周年らしい。
b.2009年オープンの環境を全面におしだした最先端イオンSC。つくば駅、土浦駅からそれぞれ車で20分くらい。敷地が広大である点、最先端を良しとするのかが議論の焦点
c.2008年にジャスコから改装。「下妻物語」の舞台。ベッドタウンとしての様相とは異なるか。5.6に難あり。
d.取手市の危機的衰退状況から郊外大型SCは存在しない。中規模SCを扱うか、さらに複数扱うか他の3候補とは設定は大きく異なる。3に難あり。
③議論の焦点 より具体的な
1.どこまでを設計対象とし、どこまでをプログラムで考えるか。生産、消費、廃棄 生活の範囲 都市範囲
2.商業分野を絞るか。1分野を主体と置くか、網羅的に扱うか。 食、さらに農業を考えるとかなり絞った分野となる。
思考ファイル5
思考ファイルは5回目になった。
総じていえることは、郊外化と大量消費社会と生活と生産(労働)分離、さらに家族という共同体は密接な関係があり、同時に生じた現象であるということである。中間発表まではこの3要素は別次元で扱っていたが、このように再構成することで、明確なストーリーが組めるだろう。この郊外化は日本社会全体の傾向であり、郊外だけの問題ではない。そして現在、郊外が崩壊し始めたなか、新たな「消費」の場を作ることで共同体を構築させる必要を感じる。
本回は今後設計の手掛かりとなるポイントを自分なりにまとめた。
①建築をつくることで「場」を提供する。
われわれは建築を作ることによって郊外化による問題に立ち向かわなければならない。それはこれまで郊外にコミットしようとしなかった(無関心を装いあえて避けてきた)建築界に大罪があると思うからである。結果的に郊外のロードサイドのような均質な風景を作ってしまったといえる。実際に新建築には郊外のロードサイドにある建築は一切取り扱われていない。これは建築界に対する警鐘でもあるのだ。
②ゆるやかな共同体
郊外において故郷喪失により強固な共同性が欠如している。はたして昔あったといえるこのような共同性を復活させることは可能なのか。郊外で育った自分にとって共同意識がないため甚だ疑問なのである。そこで短期間であるがそこにあり、離散、集合と常に形を変えていく確かにあるゆるやかな共同体は作れないかと思う。
③生産(労働)と廃棄の距離が近い「消費」の場
郊外はいわば「消費」の場である。そこではいかに「消費」したかがステータスとなる。以前は都市は労働(生産)、郊外は消費(生活)と明確に区分されていたが、現在は単調にはいかない。東京にあるものはすべてイオンで手に入り(手に入るように思わされる)、東京は憧れの場ではなく単なる娯楽の場となっている。郊外がイオンによって自己完結化(郊内化)してきている。郊外の若者たちは都心に行かずフリーター化している。このような変化の中で、「消費」の場は単に「消費」するだけの場ではなく、生産や廃棄が垣間見える場である必要がある。まちの多様化にもつながる。
④混在(カオス)を許容する場
郊外は機能主義的に土地利用が決まり、私有化が浸透している。そして極めて均質で単調な都市空間となってしまっている。郊外の若者にとってはそれが息苦しい。より人間味のある多様なまちが求められるのである。
⑤まちに溶け込み広がる。
郊外や地方におけるイオンは都市機能のほとんどを担っている。逆にイオンがなくなればそのまちの死を意味するのだ。このような集中化した都市機能を再びまちに開放するような、一種の大規模商業施設の解体を試みたい。
総じていえることは、郊外化と大量消費社会と生活と生産(労働)分離、さらに家族という共同体は密接な関係があり、同時に生じた現象であるということである。中間発表まではこの3要素は別次元で扱っていたが、このように再構成することで、明確なストーリーが組めるだろう。この郊外化は日本社会全体の傾向であり、郊外だけの問題ではない。そして現在、郊外が崩壊し始めたなか、新たな「消費」の場を作ることで共同体を構築させる必要を感じる。
本回は今後設計の手掛かりとなるポイントを自分なりにまとめた。
①建築をつくることで「場」を提供する。
われわれは建築を作ることによって郊外化による問題に立ち向かわなければならない。それはこれまで郊外にコミットしようとしなかった(無関心を装いあえて避けてきた)建築界に大罪があると思うからである。結果的に郊外のロードサイドのような均質な風景を作ってしまったといえる。実際に新建築には郊外のロードサイドにある建築は一切取り扱われていない。これは建築界に対する警鐘でもあるのだ。
②ゆるやかな共同体
郊外において故郷喪失により強固な共同性が欠如している。はたして昔あったといえるこのような共同性を復活させることは可能なのか。郊外で育った自分にとって共同意識がないため甚だ疑問なのである。そこで短期間であるがそこにあり、離散、集合と常に形を変えていく確かにあるゆるやかな共同体は作れないかと思う。
③生産(労働)と廃棄の距離が近い「消費」の場
郊外はいわば「消費」の場である。そこではいかに「消費」したかがステータスとなる。以前は都市は労働(生産)、郊外は消費(生活)と明確に区分されていたが、現在は単調にはいかない。東京にあるものはすべてイオンで手に入り(手に入るように思わされる)、東京は憧れの場ではなく単なる娯楽の場となっている。郊外がイオンによって自己完結化(郊内化)してきている。郊外の若者たちは都心に行かずフリーター化している。このような変化の中で、「消費」の場は単に「消費」するだけの場ではなく、生産や廃棄が垣間見える場である必要がある。まちの多様化にもつながる。
④混在(カオス)を許容する場
郊外は機能主義的に土地利用が決まり、私有化が浸透している。そして極めて均質で単調な都市空間となってしまっている。郊外の若者にとってはそれが息苦しい。より人間味のある多様なまちが求められるのである。
⑤まちに溶け込み広がる。
郊外や地方におけるイオンは都市機能のほとんどを担っている。逆にイオンがなくなればそのまちの死を意味するのだ。このような集中化した都市機能を再びまちに開放するような、一種の大規模商業施設の解体を試みたい。
しまだの頭の中
ちょっと今までの社会的な話からは離れてしまうかもしれないけど。。
今シマダは「都市文化の成熟」という本を読んでいる。
その中の『村としての東京―変転する近代日本の首都像』byヘンリー・スミスの話がおもしろい。でもまだ読み途中なので、これについては後日まとめます。
でもいくつか気になる引用文を・・・
「大東京も大きな村であると、かつてはよくいわれたが、その意味内容がいろいろあり、誇張にすぎるとはいえ、それは、日本の都市の性格をよく表現している。日本近代の地域社会は、こうした表現がさして違和感なしにうけいれられるほど、農村と都市とを通じて、つよい結束をみせた村や町内を構成単位とした。そうして、町内も村同様の性格をもつ共同体として、日本の社会をつくりあげた『ムラ』であったのである」(福武直,1981)
あと、、槙さんの「見えがくれする都市」の一文を引用しているところだけ、明日の敷地調査を前に考えてみようと思う。
東京と田舎(郊外を含む)に通底する性質として、土地そのものへの執着を挙げている。
「土地信仰はやがて人々の深層意識として定着し、近代という全く異なった社会経済機構の中でその執着だけは…連綿と生き続けているのである。…日本ほど、その歴史において、土地に執着し、一方において建築の永遠性を信じないところをしらない。空間はどうやら、土地において代表され、建造物によって表象されないようだ」
吉田の思考ファイル3のなかで、①「故郷喪失」と共同性の欠如という、郊外の問題点が挙っていた。
このことと、槙氏の言う<土地への深層意識としての定着(執着)>は非常に密接な関係にあると思う。日本人の根底原理が、現在の郊外では通用しないということになるからだ。
こうした事態をどう受け止めるか、郊外に住むという感覚がない私にとってかなりここがポイントである。この問題が、この先実際に郊外でさらにどのような問題を誘発してしまうのか、ということについて考えていかなければならない。
明日は今までの数々の2人が挙げてくれた郊外の問題点を意識しながら敷地調査を行う。
私はやはり敷地調査では、まず行ったときの土地の感覚みたいなものを重視する質なので、郊外というおそらく日本中で唯一<土地への執着が生まれない場所>がどういう意味なのか、このことに着目しながらひとつひとつの町を見ていきたいと思う。
(よくわからない文章になってしまったかも。)
2009年11月30日月曜日
バイオマスネットワークの町
バイオマスなどが今注目されていることを受けて・・・
実際に地域の町がそれによってブランド化した例から郊外復興の可能性を見ていきます。
んで、そのために関満博の「エコタウンが地域ブランドになる時代」から引用しました。まず、知識の確認として、バイオマスとは、再生可能な、生物由来の有機性資源を指すことはいうまでもないよね。化石資源を含まず、主に
廃棄バイオマス(食品・木材などの廃棄物、し尿汚泥など)、
未利用バイオマス(稲わら、間伐材など)、
資源作物(等質系作物、油糧作物)
から構成されてることを確認してください。んで、本題。
『岡山県真庭市では、特に製材所から出る「木質形バイオマス(ペレット)」を利用して、化石燃料に頼らない地域循環型コミュニティつくりを進めていた。実際、真庭市で生み出されるバイオマスの量は、年間役35万トン。うち約27万トンが再利用されており、重油換算で72000klの削減効果を達成している。
この市でバイオマスに最も力を入れてる会社というのが集成材を生産する「銘建工業」というところである。集成材を作るのに伴う人工乾燥処理の熱源として、バイオマスを利用したボイラー発電を使っており、近年ようやく売電などで元が取れるようになった。
現在のバイオマスタウンの姿が作られるきっかけとなったのが、地域の若手経営者役20人による勉強会「21世紀の真庭塾」であった。1人の行政マンが黒子となり、地域連携のネットワークが形成されていったのである。
その行政マンは、当時から有名だった「銘建工業」などの企業経営者を中心に地域の若手経営者を集め、地域課題を本気で考える若手経営者ネットワークを考えた。そこでマスコミなどのネットワークを通じて集まったメンバーを中心に「真庭塾」を誕生させた。そのとき、、製材業、医者、魚屋、酒屋など約20人が集まる異業種交流ネットワークが形成されたのである。 (その後、月2回のペースでその塾は開かれ、80回の講演会、延べ300時間の勉強会に及んだ。)
塾では、当時開通する岡山自動車道全通(1997)によるストロー現象への危機感、Uターン者である参加者の高い意識、行政マンの立ち回りなどが重なって、町並み再生、新産業創出に向け、将来市の進むべき道を熱く語り合う場ができていった。
こうしてできたのがひとつは「町並み再生部会」による保存活動と、森林資源の活用を手がける「ゼロエミッション部会」だった。ヒノキやそのおがくずなどで猫砂(猫用のトイレ)や、木材をコンクリートに混ぜた「木材コンクリート(moco)」を開発、ネットでヒット商品となった。先ほどのボイラー導入も、地域内で安くエネルギー供給できる仕組みができれば、田舎でも競争できるという議論をした成果だった。
今後mocoを開発した企業では「この会社をプラットホームに、山の木を循環させる仕組みを作って生きたい」と考えていた。』
ここで注目すべきは、この再生までの流れが、
あくまで「地元」で戦う姿勢を誰もが持っていた人たちによる市の再生であったことだとおもう。
地場産業を見据え、今後の先見的な経営体制を考えるための場が設けられ、
それに経営者たちが呼応したことで現在までのことが成しえたのである。
んで、ここで感じたことなんだけど、
郊外における新たな「町」を考えるとき、
それを考える「場」を提供すべきなのかも知れないのかな?明日意見を聞きたいんでよろしくっす!
思考ファイル4
前回の続き
①故郷喪失と共同性の欠如
故郷喪失は変わりようのないこと。共同性に関しては、強固ではないが地域での共同体の意識は存在すると思う。人と付き合わない引きこもり的態度ではなく、人か関わりあおうとする姿勢になりつつある。しかし、ネット空間を解した趣味による共同体(島宇宙化)が強いのも現状である。
②働く姿が見えない
改善はされていないが、共働きという家族構成の変化もあり、(実際東京より地方の方が共働きが多い)。さらに家族という共同体は崩壊しつつあると言える。母-主婦というイメージは古いものとなっているだろう。父の権威は殆どない。
③友達文明と子供至上主義
依然としてある。
④均質性
「出る杭は打たれる」的な人間関係は依然としてあるだろう。しかし出すぎない程度に生活スタイルは多様化し、mixiなどの自己主張する場もある。
⑤過度な機能主義的空間構成
過度な機能主義的空間構成が今の生活に対応しきれないのが現状である。
⑥「私有」空間
さらに悪化している。生活空間では私有性が強まる一歩で私有じゃない部分も車で容易に発見でき、犯罪が起きやすくなったりしている。
郊外の住民は型にはまった生活から抜け出し、多様な生活スタイルを作り出そうとしていること、インターネットによって新たなコミュニケーション方法が強くなりつつあること、大量消費が節約、シンプル消費に移りつつあると根本的に変化が見られる。
しかしアーキテクチャ(とくに公共空間)に関しては依然として消費文化を前提としていて住民の変化に対応しきれていないのも事実ではないだろうか。建築の分野が郊外、消費社会から撤退し、放棄したのにも原因があるのではないだろうか。
①故郷喪失と共同性の欠如
故郷喪失は変わりようのないこと。共同性に関しては、強固ではないが地域での共同体の意識は存在すると思う。人と付き合わない引きこもり的態度ではなく、人か関わりあおうとする姿勢になりつつある。しかし、ネット空間を解した趣味による共同体(島宇宙化)が強いのも現状である。
②働く姿が見えない
改善はされていないが、共働きという家族構成の変化もあり、(実際東京より地方の方が共働きが多い)。さらに家族という共同体は崩壊しつつあると言える。母-主婦というイメージは古いものとなっているだろう。父の権威は殆どない。
③友達文明と子供至上主義
依然としてある。
④均質性
「出る杭は打たれる」的な人間関係は依然としてあるだろう。しかし出すぎない程度に生活スタイルは多様化し、mixiなどの自己主張する場もある。
⑤過度な機能主義的空間構成
過度な機能主義的空間構成が今の生活に対応しきれないのが現状である。
⑥「私有」空間
さらに悪化している。生活空間では私有性が強まる一歩で私有じゃない部分も車で容易に発見でき、犯罪が起きやすくなったりしている。
郊外の住民は型にはまった生活から抜け出し、多様な生活スタイルを作り出そうとしていること、インターネットによって新たなコミュニケーション方法が強くなりつつあること、大量消費が節約、シンプル消費に移りつつあると根本的に変化が見られる。
しかしアーキテクチャ(とくに公共空間)に関しては依然として消費文化を前提としていて住民の変化に対応しきれていないのも事実ではないだろうか。建築の分野が郊外、消費社会から撤退し、放棄したのにも原因があるのではないだろうか。
思考ファイル3
京都いっている間に『「家族」と「幸福」の戦後史』という本を読み終えました。
この本は『ファスト風土化する日本』など、今まで何度も紹介した三浦展さんのいわば「郊外に関する基本書」です。前回述べたことと関連することですが、1950年代のアメリカから現代の日本の郊外化の現状に至るまでの歴史がわかりやすく書かれています。
今回はその中に書かれている日本の郊外の問題点について考察します。
ピックアップすると以下のようになります。
①「故郷喪失」と共同性の欠如
地方から都市 都市から郊外へ 郊外に住む人は故郷がない。
さらに郊外では、生まれた土地も育った場所も異なるさまざまな人間が、短期間に急激に大量に移り住んでくるので、地域の共同性が形成されにくい。
②働く姿がみえない
都心で働く父親については単に寝る場所であり、疲れを癒す場。
さらに郊外は「消費」の場である。生産と労働は都心。(前章で郊外化は「生産」と「生活」を分離させたと述べています。)
昔は子供が親の仕事を手伝っていた。子供は親の姿を見て育った。
現在ホワイトカラー(技術、管理、事務、販売関係職のこと)が多く、パソコンによる見かけでの職業の均質化もその原因の一つ。
③「友達文明」と子供至上主義
日本人のモラルは身の周りの「世間」との関係のなかで形成しているといわれる。しかし、身分、空間、時間が平等に与えられている郊外では「世間」がないようなものである。そのため誰もが友達のような感覚になってしまう。先生や親に尊敬がなくなるのである。さらに消費文化によって「消費」が人の評価基準となることで、父親の権威はますます衰え、子供が「消費」の主役となる。
④均質性
郊外では生活スタイルがほぼ同じ人があつまる。それゆえ、他人と違うこと、他人より目立つことが避けられる。都市のような異質混在の魅力がない。
⑤過度な機能主義的空間構成
土地の明確な区分。人間味のない街。機能的に分離された部屋。
現代の家族は父は仕事、母が主婦、子供が勉強という分業体制が部屋の構成にも影響している。
⑥「私有」空間
ニュータウンはほとんどそこに住む人しかいない。住む人の私有化。公園は誰かに管理されているような居心地の悪さへ。公園、学校、道路などに柵が張り巡らされている。隙間のない息苦しい街。
これらの影響で現在の郊外に起こる、離婚、家庭内暴力、校内暴力といじめ、ニートなどの問題を引き起こしている。実際、自分の身におかれた状況があてはまりすぎて悲しくなった(笑)さらにこれらの指摘は設計に関連するような要素が多いことがわかるだろう。
しかしこの本が執筆されたのは、1999年。前にも述べた1995年ショックやサカキバラ事件が背景にある時代であり、現在ではことの様相は異なっているように思う。上記の問題点に関して自分なりに現在置かれている状況から考察をしよう。(次回へ続く)
この本は『ファスト風土化する日本』など、今まで何度も紹介した三浦展さんのいわば「郊外に関する基本書」です。前回述べたことと関連することですが、1950年代のアメリカから現代の日本の郊外化の現状に至るまでの歴史がわかりやすく書かれています。
今回はその中に書かれている日本の郊外の問題点について考察します。
ピックアップすると以下のようになります。
①「故郷喪失」と共同性の欠如
地方から都市 都市から郊外へ 郊外に住む人は故郷がない。
さらに郊外では、生まれた土地も育った場所も異なるさまざまな人間が、短期間に急激に大量に移り住んでくるので、地域の共同性が形成されにくい。
②働く姿がみえない
都心で働く父親については単に寝る場所であり、疲れを癒す場。
さらに郊外は「消費」の場である。生産と労働は都心。(前章で郊外化は「生産」と「生活」を分離させたと述べています。)
昔は子供が親の仕事を手伝っていた。子供は親の姿を見て育った。
現在ホワイトカラー(技術、管理、事務、販売関係職のこと)が多く、パソコンによる見かけでの職業の均質化もその原因の一つ。
③「友達文明」と子供至上主義
日本人のモラルは身の周りの「世間」との関係のなかで形成しているといわれる。しかし、身分、空間、時間が平等に与えられている郊外では「世間」がないようなものである。そのため誰もが友達のような感覚になってしまう。先生や親に尊敬がなくなるのである。さらに消費文化によって「消費」が人の評価基準となることで、父親の権威はますます衰え、子供が「消費」の主役となる。
④均質性
郊外では生活スタイルがほぼ同じ人があつまる。それゆえ、他人と違うこと、他人より目立つことが避けられる。都市のような異質混在の魅力がない。
⑤過度な機能主義的空間構成
土地の明確な区分。人間味のない街。機能的に分離された部屋。
現代の家族は父は仕事、母が主婦、子供が勉強という分業体制が部屋の構成にも影響している。
⑥「私有」空間
ニュータウンはほとんどそこに住む人しかいない。住む人の私有化。公園は誰かに管理されているような居心地の悪さへ。公園、学校、道路などに柵が張り巡らされている。隙間のない息苦しい街。
これらの影響で現在の郊外に起こる、離婚、家庭内暴力、校内暴力といじめ、ニートなどの問題を引き起こしている。実際、自分の身におかれた状況があてはまりすぎて悲しくなった(笑)さらにこれらの指摘は設計に関連するような要素が多いことがわかるだろう。
しかしこの本が執筆されたのは、1999年。前にも述べた1995年ショックやサカキバラ事件が背景にある時代であり、現在ではことの様相は異なっているように思う。上記の問題点に関して自分なりに現在置かれている状況から考察をしよう。(次回へ続く)
2009年11月26日木曜日
思考ファイル2
今日話したことをざっくばらんに記します。
郊外化 はアメリカ型大量消費社会の定着を意味する。
それは同時に「家族」が消費の単位として確立された。生活演出型、幸福享受型ニューファミリー。アメリカ型ホームドラマが浸透することによる物質的な大量消費社会への憧れ。自動車や家電があったからこそ、家族がなりたったといってよい。
日本において家族と郊外というものは、高度経済成長期の意図的に作り出された一種の装置である。
その時は平均的な家族像というものが存在し、メディア、企業、行政などはそれを基にして大衆にアプローチができた。
しかし現在、ではそうはいかない。ライフスタイルの多様化、インターネットの普及、環境問題、リサイクル、シンプル思考、サブプライムローン問題も含めて、郊外化の行き詰まりが見えてきたともに、大量消費社会が終焉を迎える。
作られた「家族」という共同体はもはや擬似的なものでしかない。テレビも自動車も家族のステータスにならない。家族という共同体を感じる時は食事の時しかないのではないか。(共食)
背景として、1995年(宮崎勤、阪神大震災、地下鉄サリン事件、新世紀エヴァンゲリオン)を境に歴史や政治などの「大きな物語」(意図的に生み出された平均的な家族像も含まれるだろう)が意味を成さず、小さな共同体が並列化している状態(島宇宙化)への変化がある。それはコミニュケーションの多様化、アーキテクチャの画一化にもつながっている。
このような背景があるなかで、われわれに何が提案できるか。郊外にスポットをあて、商業建築(生活と消費)の見直しから生産、消費、廃棄のサイクルを考えることは的を得ていると思う。その中で、生産と廃棄はプログラムとして提案し、大量消費社会ではない消費の新たな場を設計する形になるように思う。バイオマス発電、いまあるものを再資源化する方法。廃棄と生産を考えるとしたら使えるんじゃないか。ただ他の太陽光発電などと比べてエネルギー効率が悪いのが難点。一方でドイツや北欧などのエコ最先端国と比べると、普及度はかなり低い。
追記 中西さんに話を聞きました。問題点は明確だし、茨城という敷地とか郊外って明確にイメージできるからいいというお褒めの言葉と僕が失敗した分も頑張ってくれという激励の言葉を頂きました(笑)
郊外化 はアメリカ型大量消費社会の定着を意味する。
それは同時に「家族」が消費の単位として確立された。生活演出型、幸福享受型ニューファミリー。アメリカ型ホームドラマが浸透することによる物質的な大量消費社会への憧れ。自動車や家電があったからこそ、家族がなりたったといってよい。
日本において家族と郊外というものは、高度経済成長期の意図的に作り出された一種の装置である。
その時は平均的な家族像というものが存在し、メディア、企業、行政などはそれを基にして大衆にアプローチができた。
しかし現在、ではそうはいかない。ライフスタイルの多様化、インターネットの普及、環境問題、リサイクル、シンプル思考、サブプライムローン問題も含めて、郊外化の行き詰まりが見えてきたともに、大量消費社会が終焉を迎える。
作られた「家族」という共同体はもはや擬似的なものでしかない。テレビも自動車も家族のステータスにならない。家族という共同体を感じる時は食事の時しかないのではないか。(共食)
背景として、1995年(宮崎勤、阪神大震災、地下鉄サリン事件、新世紀エヴァンゲリオン)を境に歴史や政治などの「大きな物語」(意図的に生み出された平均的な家族像も含まれるだろう)が意味を成さず、小さな共同体が並列化している状態(島宇宙化)への変化がある。それはコミニュケーションの多様化、アーキテクチャの画一化にもつながっている。
このような背景があるなかで、われわれに何が提案できるか。郊外にスポットをあて、商業建築(生活と消費)の見直しから生産、消費、廃棄のサイクルを考えることは的を得ていると思う。その中で、生産と廃棄はプログラムとして提案し、大量消費社会ではない消費の新たな場を設計する形になるように思う。バイオマス発電、いまあるものを再資源化する方法。廃棄と生産を考えるとしたら使えるんじゃないか。ただ他の太陽光発電などと比べてエネルギー効率が悪いのが難点。一方でドイツや北欧などのエコ最先端国と比べると、普及度はかなり低い。
追記 中西さんに話を聞きました。問題点は明確だし、茨城という敷地とか郊外って明確にイメージできるからいいというお褒めの言葉と僕が失敗した分も頑張ってくれという激励の言葉を頂きました(笑)
2009年10月8日木曜日
思考ファイル その1
今後卒論の合間に卒計の扱う問題点について思考していきたいと思います。
思考の出発点として大量消費型東京中心社会について考えていきたい。
この大量消費型東京中心社会が日本全土に行き渡っている現代。しかし人口、経済、都市ね縮小傾向にある社会変化のなかでさまざまな問題が発生している今、変革が必要であるというのが都心と郊外を考える上で行き着いた考えである。
しかしちょっと立ち返ってみて、大量消費型東京中心指向について改めて考え直す。大量消費社会、アメリカ型資本主義社会に繋がるがそれと東京中心型社会は直結するだろうか。東京が文化、経済、情報の中心であってそれらを地方が享受するという関係性。これが概念だが、その概念を揺るがす事実がある。日本において物を最も消費している地域はどこか。この問いに対して多くの人が東京と答えるだろう。しかし消費量をみると富山市が1番である。それはここ十年くらいで起こった現象で次いで福島市、浦和市が上げられる。
何故そうなったというのはここでは触れないが、つまりいまの市場は東京ではなく地方なのだ。ショッピングセンターは東京で売れたものを地方にも売り出すわけではなく、地方で売れるものを売り出しているのである。
東京中心社会というのは今は昔的概念なのか。これは少し違う。経済はそうかもしれないが、思考においては依然として東京中心だ。地方が求めているのは東京的都心性を得ること。しかしそれは本当に都心で流行っているかは重要ではない。地方の消費者が思い描く東京型都心性にあてはまればよいのだ。
問題の本質は人々の頭にあり続ける東京型ライフスタイルがすばらしいという通俗的認識ではないだろうか。それは戦前期から推し進められて来た社会政策の失敗なのかもしれない。続く。
思考の出発点として大量消費型東京中心社会について考えていきたい。
この大量消費型東京中心社会が日本全土に行き渡っている現代。しかし人口、経済、都市ね縮小傾向にある社会変化のなかでさまざまな問題が発生している今、変革が必要であるというのが都心と郊外を考える上で行き着いた考えである。
しかしちょっと立ち返ってみて、大量消費型東京中心指向について改めて考え直す。大量消費社会、アメリカ型資本主義社会に繋がるがそれと東京中心型社会は直結するだろうか。東京が文化、経済、情報の中心であってそれらを地方が享受するという関係性。これが概念だが、その概念を揺るがす事実がある。日本において物を最も消費している地域はどこか。この問いに対して多くの人が東京と答えるだろう。しかし消費量をみると富山市が1番である。それはここ十年くらいで起こった現象で次いで福島市、浦和市が上げられる。
何故そうなったというのはここでは触れないが、つまりいまの市場は東京ではなく地方なのだ。ショッピングセンターは東京で売れたものを地方にも売り出すわけではなく、地方で売れるものを売り出しているのである。
東京中心社会というのは今は昔的概念なのか。これは少し違う。経済はそうかもしれないが、思考においては依然として東京中心だ。地方が求めているのは東京的都心性を得ること。しかしそれは本当に都心で流行っているかは重要ではない。地方の消費者が思い描く東京型都心性にあてはまればよいのだ。
問題の本質は人々の頭にあり続ける東京型ライフスタイルがすばらしいという通俗的認識ではないだろうか。それは戦前期から推し進められて来た社会政策の失敗なのかもしれない。続く。
2009年9月26日土曜日
佐藤さん 後藤研助教(?)コメント
・テーマはジャンプができるか見極めるのが重要。
・とりあえす最終的には1つの場所に提案できないとね。
・単にショッピングセンターが空いたから利用するじゃテーマにならない。空いたスペースを利用しよう的な案にしか聞こえない。実はあんまテーマ見つかってない??
・なにか普遍的な問題があってそこを利用すれば解決できて、地域社会に意味があるものであるか説明しないといけない。じゃないと高齢化がとかいっても意味ない。
・ロードサイドのSCか駅のSCかでぜんぜん違う。駅前だと言ってることがなりたたない。
・SCの立地に意味があるのか。地域の生活に対して。
・車によるアクセスはどうするのか?そこは否定すべきか?
・商業圏をつくるという駅前とは違う生活圏を作っている点は面白い。地域の人の購買活動がかわる。
・商業建築を21世紀型に見直すというテーマはありうる。そして生産と消費の新たな関係性を築く。
・資本主義社会の象徴たるSCを地域のスケールに落としていくということもテーマとしてはいい。
・そのなかで地域スケールの商店街とつないでいくという点で駅前もありうる。
・空間もおもしろい。だーって抜けていくような空間 ただでかすぎるからそんな機能入れるの大変。
商業機能の一部を見直すって方がいいのでは?SCを肯定していく。
・とりあえす最終的には1つの場所に提案できないとね。
・単にショッピングセンターが空いたから利用するじゃテーマにならない。空いたスペースを利用しよう的な案にしか聞こえない。実はあんまテーマ見つかってない??
・なにか普遍的な問題があってそこを利用すれば解決できて、地域社会に意味があるものであるか説明しないといけない。じゃないと高齢化がとかいっても意味ない。
・ロードサイドのSCか駅のSCかでぜんぜん違う。駅前だと言ってることがなりたたない。
・SCの立地に意味があるのか。地域の生活に対して。
・車によるアクセスはどうするのか?そこは否定すべきか?
・商業圏をつくるという駅前とは違う生活圏を作っている点は面白い。地域の人の購買活動がかわる。
・商業建築を21世紀型に見直すというテーマはありうる。そして生産と消費の新たな関係性を築く。
・資本主義社会の象徴たるSCを地域のスケールに落としていくということもテーマとしてはいい。
・そのなかで地域スケールの商店街とつないでいくという点で駅前もありうる。
・空間もおもしろい。だーって抜けていくような空間 ただでかすぎるからそんな機能入れるの大変。
商業機能の一部を見直すって方がいいのでは?SCを肯定していく。
中川さんエスキスコメント
設計は1行の文章と1枚のスケッチで全てがわかる。
卒業設計においては1行で問題点が言えて、設計した空間がそのことを語っているべきなのだ。
君たちの案はまだそれが見つけられてない。現状を語っているに過ぎない。何がしたいかわからない。もっと思考を深めて一言でいえるようにしなければならない。別に共同課題でも同じ、意匠においても、構造においても、環境においても同じである。
分析 → 一行の言葉
計画提案 → 一行の言葉と1枚のスケッチ
広域ー都市・建築の関係 → 1枚のスケッチ
卒業設計においては1行で問題点が言えて、設計した空間がそのことを語っているべきなのだ。
君たちの案はまだそれが見つけられてない。現状を語っているに過ぎない。何がしたいかわからない。もっと思考を深めて一言でいえるようにしなければならない。別に共同課題でも同じ、意匠においても、構造においても、環境においても同じである。
分析 → 一行の言葉
計画提案 → 一行の言葉と1枚のスケッチ
広域ー都市・建築の関係 → 1枚のスケッチ
古谷さんエスキスコメント
・古谷さんエスキースこれから敷地は3人で共通してやったらいい。
・郊外と都心をつなげるために廃棄物に着目したのは有り得る。というのも生産と生活をつなげるといっているが生活の中には消費と廃棄がある。この3つがサイクルできるシステムをつくるべきだ。
・郊外=生産、都心=消費、廃棄 という単純な構図はなりたたない。その点郊外の方がポテンシャルがあるかもしれない。生産、消費、廃棄のサイクルの距離が短くて済む、自立型循環社会が成り立つ可能性があるからだ。
・郊外に足りないのは都心性。東京とは違う都心性がつくれば東京中心社会を脱却できる。従来の構想である東京に仕事にいって土日は郊外という生活スタイルはスタンダードではなくなるだろう。それはITの発展によって都心に通わなくても仕事が出来るからだ。都心を意識しながら郊外の生活スタイルを考えられれば、都心にわざわざせっけいしなくてもいいのでは?
・ショッピングセンターもまさに東京の資本が出店しているという東京中心社会の象徴である。郊外で吸い取ったお金は東京に送られる。東京ブランドが郊外を支配する形じゃないような郊外の生活像を提案しよう。東京だけが都心じゃないんですみたいな。
・郊外と都心をつなげるために廃棄物に着目したのは有り得る。というのも生産と生活をつなげるといっているが生活の中には消費と廃棄がある。この3つがサイクルできるシステムをつくるべきだ。
・郊外=生産、都心=消費、廃棄 という単純な構図はなりたたない。その点郊外の方がポテンシャルがあるかもしれない。生産、消費、廃棄のサイクルの距離が短くて済む、自立型循環社会が成り立つ可能性があるからだ。
・郊外に足りないのは都心性。東京とは違う都心性がつくれば東京中心社会を脱却できる。従来の構想である東京に仕事にいって土日は郊外という生活スタイルはスタンダードではなくなるだろう。それはITの発展によって都心に通わなくても仕事が出来るからだ。都心を意識しながら郊外の生活スタイルを考えられれば、都心にわざわざせっけいしなくてもいいのでは?
・ショッピングセンターもまさに東京の資本が出店しているという東京中心社会の象徴である。郊外で吸い取ったお金は東京に送られる。東京ブランドが郊外を支配する形じゃないような郊外の生活像を提案しよう。東京だけが都心じゃないんですみたいな。
卒論中間発表 吉田
私たちは都心と郊外において縮小社会という共通の問題に立ち向かうため都心と郊外の2点で設計しょうと考えています。都心と郊外がお互いに役割を認識し、東京中心型社会から脱却するため相互補完できるような関係性をきづきあげたいと思います。
そこで一つの手掛かりとして生産と生活をつなげることを考えています。自分達の地域で何が生産されているか日常生活の中で認識させることで都市のアイデンティティーを生成させます。
生産を日常生活の中で触れる場所として商業建築に着目しました。商業建築は経済性、合理性における人間工学によってデザインされたものですが、それを今後の社会に向けて新たなデザインに組み直すことができればと思っています。
郊外においてはまさにショッピングセンターが生活の全てを支えていますが、撤退が相次いでいて、まちの存続を左右する大きな問題となっています。このショッピングセンターを地域に返し、商業圏によって分断されていたまちをつなぎ新たなまちの拠点として再生させます。敷地の対象として生産力があるのにもかかわらず衰退傾向にある熊谷市と取手市を挙げています。
対して都心においては地域に根付いた商店街が残ってており、それを維持するため周辺の商店街と比べて衰退傾向にある高円寺ストリートをあげております。
そこで一つの手掛かりとして生産と生活をつなげることを考えています。自分達の地域で何が生産されているか日常生活の中で認識させることで都市のアイデンティティーを生成させます。
生産を日常生活の中で触れる場所として商業建築に着目しました。商業建築は経済性、合理性における人間工学によってデザインされたものですが、それを今後の社会に向けて新たなデザインに組み直すことができればと思っています。
郊外においてはまさにショッピングセンターが生活の全てを支えていますが、撤退が相次いでいて、まちの存続を左右する大きな問題となっています。このショッピングセンターを地域に返し、商業圏によって分断されていたまちをつなぎ新たなまちの拠点として再生させます。敷地の対象として生産力があるのにもかかわらず衰退傾向にある熊谷市と取手市を挙げています。
対して都心においては地域に根付いた商店街が残ってており、それを維持するため周辺の商店街と比べて衰退傾向にある高円寺ストリートをあげております。
2009年9月11日金曜日
老いる東京
地方郊外には問題点はたくさんあるけど東京はどこに問題があるだろう。前回のMTGではそんな話がでてきた。
確かに縮小社会は地方から加速し、地方から衰退していくだろうというのが通説だ。では東京はどうなるのか?少なからず影響はあるだろうが、東京には人が集まり続けるだろうし、深刻なものではないと捉えていた。
人口減少は確かに現在では東京では発生していない。それはいくつかの要因によって今後東京で起こりうるであろう問題を見えにくくしている。
縮小社会の背景には出生率が低下し人口減少をもたらすことにあるが、一方で高齢化は深刻である。
最も人口の多い世代、団塊の世代が70歳を超える、2020年以降には現在の2倍近く高齢者が増える。今後の高齢化による打撃を最もうけるのはまさに東京である。高度経済成長期の際、地方の働き手、つまり団塊の世代の多くが東京に移住したからである。
しかし一方で東京の出生者数は全国で下から4番目という驚くべきデータがある。地方であれば若者が東京に流出して、若者が少ないから出生者数が減っているという推測ができる。しかし東京では若者の集中化が起きている。その背景としては①前述した東京に移住してきた団塊の世代の子供の当たる世代が出産適齢期になっているから ②地方に残った団塊の世代の子供の世代もバブル期後に進学、就職したから。がある。なのに出生者数が少ないのはなぜか。若者が子供を生まないからだ。
つまり東京は地方から若者をかき集めておきながら、次世代の生産に失敗しているということになる。
出生率低下の原因として女性の社会進出があげられるが、それは正確ではない。というのも首都圏より地方の方が共働きの比率が高く、出生者数が多いのだ。東京に若者を送り込めば送り込むほど、出生者数は低下する。
この東京が直面する2つの問題①急激な高齢者の増加 ②出生者減少による若者の減少。
は東京の人口の変化をみると相殺され表面化されない。東京の人口は安定しているように見えるのである。
こんな恐ろしいことが東京に起こっているのだ。次回にその資料を持っていきます。
確かに縮小社会は地方から加速し、地方から衰退していくだろうというのが通説だ。では東京はどうなるのか?少なからず影響はあるだろうが、東京には人が集まり続けるだろうし、深刻なものではないと捉えていた。
人口減少は確かに現在では東京では発生していない。それはいくつかの要因によって今後東京で起こりうるであろう問題を見えにくくしている。
縮小社会の背景には出生率が低下し人口減少をもたらすことにあるが、一方で高齢化は深刻である。
最も人口の多い世代、団塊の世代が70歳を超える、2020年以降には現在の2倍近く高齢者が増える。今後の高齢化による打撃を最もうけるのはまさに東京である。高度経済成長期の際、地方の働き手、つまり団塊の世代の多くが東京に移住したからである。
しかし一方で東京の出生者数は全国で下から4番目という驚くべきデータがある。地方であれば若者が東京に流出して、若者が少ないから出生者数が減っているという推測ができる。しかし東京では若者の集中化が起きている。その背景としては①前述した東京に移住してきた団塊の世代の子供の当たる世代が出産適齢期になっているから ②地方に残った団塊の世代の子供の世代もバブル期後に進学、就職したから。がある。なのに出生者数が少ないのはなぜか。若者が子供を生まないからだ。
つまり東京は地方から若者をかき集めておきながら、次世代の生産に失敗しているということになる。
出生率低下の原因として女性の社会進出があげられるが、それは正確ではない。というのも首都圏より地方の方が共働きの比率が高く、出生者数が多いのだ。東京に若者を送り込めば送り込むほど、出生者数は低下する。
この東京が直面する2つの問題①急激な高齢者の増加 ②出生者減少による若者の減少。
は東京の人口の変化をみると相殺され表面化されない。東京の人口は安定しているように見えるのである。
こんな恐ろしいことが東京に起こっているのだ。次回にその資料を持っていきます。
2009年8月31日月曜日
ショッピングセンターというもの
敷地のジャンル(なんていったらいいんだろ、埋立地とか、工業用地とか、地名ではない選定基準)がほしいという話が出た。1つのプロトタイプの提案だから、地域よりはこちらのほうが大事だと思ったからである。それが決まれば設計に関するリアリティのある議論ができるはずだ。
ちょっと面白いなと思ったのがショッピングセンター。
駅前商店街を蝕む、アメリカ型大量消費社会の象徴たるビルディングタイプ。
郊外の日常生活を支えると共に均質化する郊外のランドマーク。
郊外の住民の生活に良きにしろ悪いにしろ大きな変化を与えた。
その特徴は建物の圧倒的な大きさ。それに匹敵する大きな駐車場。
無機質であるが、異様な造形をもったフォルム。遠くからでも見える巨大な冠のような看板。
そこには建築家のデザインは全く介入していない。
そもそも商業建築において建築家は距離を置いていたような気がする。経済性がそれらをデザインを決定づけた。デザイン性は評価しがたいが結構考えられているはずである。立地、売り場の配置、人の動線、施工の合理性などなど。。。
しかし今後予想される縮小社会において大型ショッピングセンターは撤退を余儀なくされる。もぬけのからになったあまりにも巨大な構築物。地域の誇りを奪った末に生活を崩壊させた負の象徴として残り続けるのは悲しすぎる。。。
それを地域再生の拠点としてリデザインすることは1つの解法になるのではないか。
生産と生活をつなげる場として考えるなら、人間工学によって作られた空間は活用する価値は高い。
環境にもつなげられるかもしてないし。難しいを思うけどやりがいはあるかもね。
ちょっと面白いなと思ったのがショッピングセンター。
駅前商店街を蝕む、アメリカ型大量消費社会の象徴たるビルディングタイプ。
郊外の日常生活を支えると共に均質化する郊外のランドマーク。
郊外の住民の生活に良きにしろ悪いにしろ大きな変化を与えた。
その特徴は建物の圧倒的な大きさ。それに匹敵する大きな駐車場。
無機質であるが、異様な造形をもったフォルム。遠くからでも見える巨大な冠のような看板。
そこには建築家のデザインは全く介入していない。
そもそも商業建築において建築家は距離を置いていたような気がする。経済性がそれらをデザインを決定づけた。デザイン性は評価しがたいが結構考えられているはずである。立地、売り場の配置、人の動線、施工の合理性などなど。。。
しかし今後予想される縮小社会において大型ショッピングセンターは撤退を余儀なくされる。もぬけのからになったあまりにも巨大な構築物。地域の誇りを奪った末に生活を崩壊させた負の象徴として残り続けるのは悲しすぎる。。。
それを地域再生の拠点としてリデザインすることは1つの解法になるのではないか。
生産と生活をつなげる場として考えるなら、人間工学によって作られた空間は活用する価値は高い。
環境にもつなげられるかもしてないし。難しいを思うけどやりがいはあるかもね。
2009年8月22日土曜日
敷地選定について
敷地を選ぶ際に何を基準に選ぶかって重要ですよね。
選定対象範囲は決まりました。郊外です。
・東京から電車で1時間以上はなれた場所である。この場合、さいたま市や横浜市は入らない。
・仕事場は東京にある。ベッドタウン的地域。
・比較的歴史が浅く、住民も歴史に対する認識が薄い。
・移動手段は車、日常生活を支えているのはショッピングモール
・明確な特徴のない(ようにみえる)均質的な地域。
みたいな認識でしょうか。少なくともこれらに当てはまる場所がいいですよね。
しかしこれだけでは範囲がひろずぎるので、選定は難しい。
だから工業とか農業とかでそれぞれ基準を設定して何個か出してきたわけですが、今回敷地を絞ることになれば大テーマである都心を郊外のあり方を意識して選びたいですよね。だから単に工業でおもしろそうだからとかいった選び方では、テーマが工業になってしまう笑 良いか悪いかは別ですが最近その辺を懸念しています。
前回のMTGでは郊外の根本的な問題点として「地元への愛着、ここに住み続けたいという思いがない」というのが出ました。そして解決方法のひとつとして「生産と生活をつなげる」があげられました。
問題点→計画の目的(解決方法)→敷地選定みたいな流れで決められれば一番ベストです。明確にはできないにしても選定する際はそんなストーリーを思い描きながら考えたほうがいいかなと。だから上記の問題点、解決方法に当てはまる場所を探すというのが1つのやり方だと思います。
別のやり方として、敷地を決めてから解決方法を決めるというのもなきにしもあらずだと思います。
例えば地域の拠点として茨城空港ができる。その周辺のテクノなんとかみたいな敷地が気になる。こうなると解決方法はちょーっと変わってきますよね。中間提出にむけてまとめるには過酷かもしれないですが。
とにかく選定理由をテーマを意識して提示してほしいというのが僕の意見です。単に郊外しばりで自由にってなるとあとが大変かなと。
よろしくです。
このブログ形式時間かかるけど、口で言うより頭に残っていいかも♪good job!!
選定対象範囲は決まりました。郊外です。
・東京から電車で1時間以上はなれた場所である。この場合、さいたま市や横浜市は入らない。
・仕事場は東京にある。ベッドタウン的地域。
・比較的歴史が浅く、住民も歴史に対する認識が薄い。
・移動手段は車、日常生活を支えているのはショッピングモール
・明確な特徴のない(ようにみえる)均質的な地域。
みたいな認識でしょうか。少なくともこれらに当てはまる場所がいいですよね。
しかしこれだけでは範囲がひろずぎるので、選定は難しい。
だから工業とか農業とかでそれぞれ基準を設定して何個か出してきたわけですが、今回敷地を絞ることになれば大テーマである都心を郊外のあり方を意識して選びたいですよね。だから単に工業でおもしろそうだからとかいった選び方では、テーマが工業になってしまう笑 良いか悪いかは別ですが最近その辺を懸念しています。
前回のMTGでは郊外の根本的な問題点として「地元への愛着、ここに住み続けたいという思いがない」というのが出ました。そして解決方法のひとつとして「生産と生活をつなげる」があげられました。
問題点→計画の目的(解決方法)→敷地選定みたいな流れで決められれば一番ベストです。明確にはできないにしても選定する際はそんなストーリーを思い描きながら考えたほうがいいかなと。だから上記の問題点、解決方法に当てはまる場所を探すというのが1つのやり方だと思います。
別のやり方として、敷地を決めてから解決方法を決めるというのもなきにしもあらずだと思います。
例えば地域の拠点として茨城空港ができる。その周辺のテクノなんとかみたいな敷地が気になる。こうなると解決方法はちょーっと変わってきますよね。中間提出にむけてまとめるには過酷かもしれないですが。
とにかく選定理由をテーマを意識して提示してほしいというのが僕の意見です。単に郊外しばりで自由にってなるとあとが大変かなと。
よろしくです。
このブログ形式時間かかるけど、口で言うより頭に残っていいかも♪good job!!
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