2009年11月30日月曜日

バイオマスネットワークの町

バイオマスなどが今注目されていることを受けて・・・
実際に地域の町がそれによってブランド化した例から郊外復興の可能性を見ていきます。
んで、そのために関満博の「エコタウンが地域ブランドになる時代」から引用しました。

まず、知識の確認として、バイオマスとは、再生可能な、生物由来の有機性資源を指すことはいうまでもないよね。化石資源を含まず、主に
 廃棄バイオマス(食品・木材などの廃棄物、し尿汚泥など)、
 未利用バイオマス(稲わら、間伐材など)、
 資源作物(等質系作物、油糧作物)
から構成されてることを確認してください。んで、本題。

『岡山県真庭市では、特に製材所から出る「木質形バイオマス(ペレット)」を利用して、化石燃料に頼らない地域循環型コミュニティつくりを進めていた。実際、真庭市で生み出されるバイオマスの量は、年間役35万トン。うち約27万トンが再利用されており、重油換算で72000klの削減効果を達成している。

 この市でバイオマスに最も力を入れてる会社というのが集成材を生産する「銘建工業」というところである。集成材を作るのに伴う人工乾燥処理の熱源として、バイオマスを利用したボイラー発電を使っており、近年ようやく売電などで元が取れるようになった。
 現在のバイオマスタウンの姿が作られるきっかけとなったのが、地域の若手経営者役20人による勉強会「21世紀の真庭塾」であった。1人の行政マンが黒子となり、地域連携のネットワークが形成されていったのである。
 その行政マンは、当時から有名だった「銘建工業」などの企業経営者を中心に地域の若手経営者を集め、地域課題を本気で考える若手経営者ネットワークを考えた。そこでマスコミなどのネットワークを通じて集まったメンバーを中心に「真庭塾」を誕生させた。そのとき、、製材業、医者、魚屋、酒屋など約20人が集まる異業種交流ネットワークが形成されたのである。 (その後、月2回のペースでその塾は開かれ、80回の講演会、延べ300時間の勉強会に及んだ。)

塾では、当時開通する岡山自動車道全通(1997)によるストロー現象への危機感、Uターン者である参加者の高い意識、行政マンの立ち回りなどが重なって、町並み再生、新産業創出に向け、将来市の進むべき道を熱く語り合う場ができていった。

こうしてできたのがひとつは「町並み再生部会」による保存活動と、森林資源の活用を手がける「ゼロエミッション部会」だった。ヒノキやそのおがくずなどで猫砂(猫用のトイレ)や、木材をコンクリートに混ぜた「木材コンクリート(moco)」を開発、ネットでヒット商品となった。先ほどのボイラー導入も、地域内で安くエネルギー供給できる仕組みができれば、田舎でも競争できるという議論をした成果だった。
今後mocoを開発した企業では「この会社をプラットホームに、山の木を循環させる仕組みを作って生きたい」と考えていた。』

ここで注目すべきは、この再生までの流れが、
あくまで「地元」で戦う姿勢を誰もが持っていた人たちによる市の再生であったことだとおもう。
地場産業を見据え、今後の先見的な経営体制を考えるための場が設けられ、
それに経営者たちが呼応したことで現在までのことが成しえたのである。

んで、ここで感じたことなんだけど、
郊外における新たな「町」を考えるとき、
それを考える「場」を提供すべきなのかも知れないのかな?明日意見を聞きたいんでよろしくっす!

思考ファイル4

前回の続き
①故郷喪失と共同性の欠如
故郷喪失は変わりようのないこと。共同性に関しては、強固ではないが地域での共同体の意識は存在すると思う。人と付き合わない引きこもり的態度ではなく、人か関わりあおうとする姿勢になりつつある。しかし、ネット空間を解した趣味による共同体(島宇宙化)が強いのも現状である。
②働く姿が見えない
改善はされていないが、共働きという家族構成の変化もあり、(実際東京より地方の方が共働きが多い)。さらに家族という共同体は崩壊しつつあると言える。母-主婦というイメージは古いものとなっているだろう。父の権威は殆どない。
③友達文明と子供至上主義
依然としてある。
④均質性
「出る杭は打たれる」的な人間関係は依然としてあるだろう。しかし出すぎない程度に生活スタイルは多様化し、mixiなどの自己主張する場もある。
⑤過度な機能主義的空間構成
過度な機能主義的空間構成が今の生活に対応しきれないのが現状である。
⑥「私有」空間
さらに悪化している。生活空間では私有性が強まる一歩で私有じゃない部分も車で容易に発見でき、犯罪が起きやすくなったりしている。

郊外の住民は型にはまった生活から抜け出し、多様な生活スタイルを作り出そうとしていること、インターネットによって新たなコミュニケーション方法が強くなりつつあること、大量消費が節約、シンプル消費に移りつつあると根本的に変化が見られる。
しかしアーキテクチャ(とくに公共空間)に関しては依然として消費文化を前提としていて住民の変化に対応しきれていないのも事実ではないだろうか。建築の分野が郊外、消費社会から撤退し、放棄したのにも原因があるのではないだろうか。

思考ファイル3

京都いっている間に『「家族」と「幸福」の戦後史』という本を読み終えました。
この本は『ファスト風土化する日本』など、今まで何度も紹介した三浦展さんのいわば「郊外に関する基本書」です。前回述べたことと関連することですが、1950年代のアメリカから現代の日本の郊外化の現状に至るまでの歴史がわかりやすく書かれています。
今回はその中に書かれている日本の郊外の問題点について考察します。
ピックアップすると以下のようになります。
①「故郷喪失」と共同性の欠如
地方から都市 都市から郊外へ 郊外に住む人は故郷がない。
さらに郊外では、生まれた土地も育った場所も異なるさまざまな人間が、短期間に急激に大量に移り住んでくるので、地域の共同性が形成されにくい。
②働く姿がみえない
都心で働く父親については単に寝る場所であり、疲れを癒す場。
さらに郊外は「消費」の場である。生産と労働は都心。(前章で郊外化は「生産」と「生活」を分離させたと述べています。)
昔は子供が親の仕事を手伝っていた。子供は親の姿を見て育った。
現在ホワイトカラー(技術、管理、事務、販売関係職のこと)が多く、パソコンによる見かけでの職業の均質化もその原因の一つ。
③「友達文明」と子供至上主義
日本人のモラルは身の周りの「世間」との関係のなかで形成しているといわれる。しかし、身分、空間、時間が平等に与えられている郊外では「世間」がないようなものである。そのため誰もが友達のような感覚になってしまう。先生や親に尊敬がなくなるのである。さらに消費文化によって「消費」が人の評価基準となることで、父親の権威はますます衰え、子供が「消費」の主役となる。
④均質性
郊外では生活スタイルがほぼ同じ人があつまる。それゆえ、他人と違うこと、他人より目立つことが避けられる。都市のような異質混在の魅力がない。
⑤過度な機能主義的空間構成
土地の明確な区分。人間味のない街。機能的に分離された部屋。
現代の家族は父は仕事、母が主婦、子供が勉強という分業体制が部屋の構成にも影響している。
⑥「私有」空間
ニュータウンはほとんどそこに住む人しかいない。住む人の私有化。公園は誰かに管理されているような居心地の悪さへ。公園、学校、道路などに柵が張り巡らされている。隙間のない息苦しい街。

これらの影響で現在の郊外に起こる、離婚、家庭内暴力、校内暴力といじめ、ニートなどの問題を引き起こしている。実際、自分の身におかれた状況があてはまりすぎて悲しくなった(笑)さらにこれらの指摘は設計に関連するような要素が多いことがわかるだろう。
しかしこの本が執筆されたのは、1999年。前にも述べた1995年ショックやサカキバラ事件が背景にある時代であり、現在ではことの様相は異なっているように思う。上記の問題点に関して自分なりに現在置かれている状況から考察をしよう。(次回へ続く)

2009年11月26日木曜日

思考ファイル2

今日話したことをざっくばらんに記します。

郊外化 はアメリカ型大量消費社会の定着を意味する。
それは同時に「家族」が消費の単位として確立された。生活演出型、幸福享受型ニューファミリー。アメリカ型ホームドラマが浸透することによる物質的な大量消費社会への憧れ。自動車や家電があったからこそ、家族がなりたったといってよい。
日本において家族と郊外というものは、高度経済成長期の意図的に作り出された一種の装置である。
その時は平均的な家族像というものが存在し、メディア、企業、行政などはそれを基にして大衆にアプローチができた。
しかし現在、ではそうはいかない。ライフスタイルの多様化、インターネットの普及、環境問題、リサイクル、シンプル思考、サブプライムローン問題も含めて、郊外化の行き詰まりが見えてきたともに、大量消費社会が終焉を迎える。
作られた「家族」という共同体はもはや擬似的なものでしかない。テレビも自動車も家族のステータスにならない。家族という共同体を感じる時は食事の時しかないのではないか。(共食)
背景として、1995年(宮崎勤、阪神大震災、地下鉄サリン事件、新世紀エヴァンゲリオン)を境に歴史や政治などの「大きな物語」(意図的に生み出された平均的な家族像も含まれるだろう)が意味を成さず、小さな共同体が並列化している状態(島宇宙化)への変化がある。それはコミニュケーションの多様化、アーキテクチャの画一化にもつながっている。

このような背景があるなかで、われわれに何が提案できるか。郊外にスポットをあて、商業建築(生活と消費)の見直しから生産、消費、廃棄のサイクルを考えることは的を得ていると思う。その中で、生産と廃棄はプログラムとして提案し、大量消費社会ではない消費の新たな場を設計する形になるように思う。バイオマス発電、いまあるものを再資源化する方法。廃棄と生産を考えるとしたら使えるんじゃないか。ただ他の太陽光発電などと比べてエネルギー効率が悪いのが難点。一方でドイツや北欧などのエコ最先端国と比べると、普及度はかなり低い。

追記 中西さんに話を聞きました。問題点は明確だし、茨城という敷地とか郊外って明確にイメージできるからいいというお褒めの言葉と僕が失敗した分も頑張ってくれという激励の言葉を頂きました(笑)