今日話したことをざっくばらんに記します。
郊外化 はアメリカ型大量消費社会の定着を意味する。
それは同時に「家族」が消費の単位として確立された。生活演出型、幸福享受型ニューファミリー。アメリカ型ホームドラマが浸透することによる物質的な大量消費社会への憧れ。自動車や家電があったからこそ、家族がなりたったといってよい。
日本において家族と郊外というものは、高度経済成長期の意図的に作り出された一種の装置である。
その時は平均的な家族像というものが存在し、メディア、企業、行政などはそれを基にして大衆にアプローチができた。
しかし現在、ではそうはいかない。ライフスタイルの多様化、インターネットの普及、環境問題、リサイクル、シンプル思考、サブプライムローン問題も含めて、郊外化の行き詰まりが見えてきたともに、大量消費社会が終焉を迎える。
作られた「家族」という共同体はもはや擬似的なものでしかない。テレビも自動車も家族のステータスにならない。家族という共同体を感じる時は食事の時しかないのではないか。(共食)
背景として、1995年(宮崎勤、阪神大震災、地下鉄サリン事件、新世紀エヴァンゲリオン)を境に歴史や政治などの「大きな物語」(意図的に生み出された平均的な家族像も含まれるだろう)が意味を成さず、小さな共同体が並列化している状態(島宇宙化)への変化がある。それはコミニュケーションの多様化、アーキテクチャの画一化にもつながっている。
このような背景があるなかで、われわれに何が提案できるか。郊外にスポットをあて、商業建築(生活と消費)の見直しから生産、消費、廃棄のサイクルを考えることは的を得ていると思う。その中で、生産と廃棄はプログラムとして提案し、大量消費社会ではない消費の新たな場を設計する形になるように思う。バイオマス発電、いまあるものを再資源化する方法。廃棄と生産を考えるとしたら使えるんじゃないか。ただ他の太陽光発電などと比べてエネルギー効率が悪いのが難点。一方でドイツや北欧などのエコ最先端国と比べると、普及度はかなり低い。
追記 中西さんに話を聞きました。問題点は明確だし、茨城という敷地とか郊外って明確にイメージできるからいいというお褒めの言葉と僕が失敗した分も頑張ってくれという激励の言葉を頂きました(笑)
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